みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

『槍』 一筋

もし妻が生きていたら絶対に反対したと思いますが、心の中で『御免なさい』と呟きながら今回『槍』を一筋購入致しました。

我が家の白いアイリスが咲きました。
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作者は昭和の名工である高羽誠刀匠です。高羽刀匠は昭和3年2月18日に生まれであり、昭和17年に池田国忠刀匠に入門、更に翌年の昭和18年ちは中田兼秀刀匠にも入門して教えを受けられました。今で言うところの中学生であった高羽青年が飛び込んだ世界は、現在の様なナヨっちい徒弟制度では無い事を付け加えておきます。

銘は高羽秀忠とも切る事も有ります。此れは師匠である池田国忠刀匠の「忠」と中田兼秀刀匠の「秀」から頂いたモノです。最初の師匠である国忠刀匠は『虎徹を凌ぐ』と言われた刀を鍛えた祖父を持ち、兼秀刀匠はヒットラームッソリーニに『刀』を国を代表して献上した経緯を持ちます。つまり両師匠共に当時の超名工なのです。

やがて高羽刀匠は修行と奉公を終えて昭和44年に作刀承認を受け独立しました。其の後に第1回新作名刀展に出品し連続で入選致しました。更に昭和51年には古の名工である志津三郎兼氏の代表作で重要文化財に指定されている太刀を写して奨励賞を受賞したのです。そんな中で当時の刀剣研究の第一人者である佐藤寒山氏の目に止まり、氏の推薦により信濃人間国宝宮入昭平刀匠の元に弟子入りして技術を高かめました。

佐藤寒山先生です。庄内日報さまより
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高羽刀匠は功って独立し、岐阜県関市に高羽鍛錬所を開設しました。此処から稀代の名工達から学んだ心技が生きます。佐藤寒山先生の現代刀評の一説で『全体的なレベルの向上は言うまでもないが、特に著しき飛躍を遂げた人に岐阜の高羽君がいる。彼の出品は重文の兼氏写しだが、驚くべき立派な作であった。高い所に目標を置いて一生懸命精進すれば素晴しい転機が訪れる好見本だ』と称されております。新刀の研究においては比類無い鑑定眼を誇る人物に此処まで言わしめたのです。

随分と前置きが長く成りましたが、私は売り物に出ていた高羽刀匠の槍を見た瞬間からビビ〜っと来てしまったのです。私の祖父は刀剣商をしていたので隣町の宮入昭平刀匠とは知己で有りました。我が故郷近隣で鍛刀の修行に励んだ高羽刀匠の売り物を見逃す手は有りませんでした。

槍の全景です。拵えに入れると概ね2m50cm程有ります。何回撮影しても上手く出来ず今回は販売元の画像をお借りしてご案内致します。拵えは現代の職人による作品だと思います。
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穂先の形状は平三角と言います。断面にすると下が長めの二等辺三角形となってます。此れは素槍と言って最もオーソドックスなスタイルなのです。写真のなかで真ん中を挟んで左右の地鉄に『柾』と言われる鍛え目が数本走るのが見えますでしょうか。
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此方が裏面です。
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下部に一本の腰樋が掻かれております。鍛えは小板目肌が良く詰んで肌立っており、総体に柾目肌になっております。更に鍛え目に沿って太い沸筋が入っているのが見て取れます。槍の根本(ねもと)を蝋燭の芯と捉えると、左右に広がる沸筋がまるで炎のゆらめきの様です。此の景色にすっかり魅了されてしまいました。実に困ったモノであります。

拵えに本身を装着致しました。やはり拵えに入れると映えます。
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裏側です。
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刀匠は出来に自信が持てた作品のみに銘を切ったと伝わります。
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昭和57年は私が12歳の時です。私は早生まれですので小学校5年生の秋に造り出された槍となりますね。其の頃の私は学校から帰るとランドセルを玄関に放り投げ、お婆ちゃんにオニギリを作って貰い、直ぐに釣竿担いで千曲川に行ってました。
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槍というのは基本的に実戦で使う消耗品ですが、制作工程も難しいと伝わっております。研磨に出す場合は通常料金の2割〜3割増しになります。槍はお断りとしている研ぎ師も居るくらいです。

また、槍には傷が出やすく、基本的に槍に鍛え傷は付きものなのです。操作においても一定の技量から上は非常に難易度が高くなり、槍使いは往時の合戦でも特別扱いされておりました。

其れを表す現在まで伝わる言葉として、槍難い🟰やり難い . 槍繰り上手🟰やりくり上手....または、思わぬ邪魔が入る事を『横槍をくらう』などの言葉からも槍の扱う難しさを物語っているのです。

槍の部位名称です。コトバンクさまより
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上の左図を見て頂くと、柄の一番下に石突と言う部位が有り通常は鍛鉄で造られております。勿論此方も攻撃用なのですが、多くの石突には下の写真の様に孔が空いております。

此方の石突金具にも小指くらいの孔が空いております。
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祖父から聞いた話ですが、此の孔の名称は『沼超え』と言います。戦国時代の合戦場は現在の様に舗装されておらず、雨が降ったりした時には泥深い『ぬかるみ』が出現致します。

実は此の孔に竹などの木の棒を差して泥に沈み難くくするのです。そして勢いを付けて『棒高跳び』の様に沼地を渡る為の工夫なのです。昔の職人の工夫の素晴らしさはこんな小さい所にも隠れております。

また部位名称の図の左に槍の全景がございますが、手留(血止め)の上を『太刀打ち』と書いてあります。余りに相手の技量が高い場合は此の部分が相手の槍に当たりもしないでやられてしまう事から、とてもじゃないが『太刀打ち出来ない』と言う言葉が生まれました。

我が家の槍は此れで三筋目です。既に保有している二筋はケラ首の長い室町末期か安土桃山期の槍なので実戦で使われた形跡も残っております。此の二筋は我々の先達が家族を守る為に使った物だろうと推察しております。

しかし今回の槍は『使わなくて良い時代の槍』なのです。今後も使う機会は限り無くゼロであり、槍としての活躍の場は無いと思いますが、せめて私の手元に置き、槍一筋で功名を立てた人物達の逸話や先人達の工夫などを合わせて次世代に伝えて行きたく思い今回手に入れた次第です。取り留めの無い話に最後までお付き合い頂き有難うございました。