みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

更級への帰郷2 老舗の鰻屋と鎌倉時代の名刀

長野県でも新潟県に近いところ位置する場所に飯山市と言う場所がございます。本日は其の飯山市にある有名な鰻屋さんに鰻を食べに行く事が、朝ごはん後の御前会議で決定致しました。飯山市はかつて上杉謙信公が信濃への足掛かりとした交通の要所であり飯山城が築かれていた城下町です。謙信公にとって此処を押さえることは軍事戦略上とても重要でした。此処から日本海側に向かうと謙信公の居城であった春日山城がごさいます。鰻の後は埴科郡坂城町にある鉄の展示館で『鎌倉時代の日本刀展』が催されているとの話なので皆を降ろして訪問する予定となりました。久しぶりに6人と言う大人数で朝食をとって車2台で出陣致しました。

少し早く出過ぎたので鰻屋の近くに有る『高橋まゆみ人形館』に寄りました。高橋さんは長野県出身の人形師で現在は風光明媚な飯山市に住んでおられます。実は私の母親が大のファンなのです。

館内は撮影禁止でしたのでホームページに出ている写真です。高橋さんの人形は老人の表情に特徴があって魅力がございます。カスリ半纏にモンペ姿のおばあちゃんは、私にとって当たり前に見た光景ですが、この姿と表情に強く引き込まれてしまいます。微笑ましい猫ちゃんを見つめる優しいおばあちゃんの御姿です。

人形館のカフェでチョット一休みです。

いよいよ鰻の本多さんにまいりました。まだ11時なのに満員御礼です。地元の車は勿論ですが、直ぐ横の新潟ナンバーも多く見受けられました。

何故か火縄中が飾られております。恐らくは家に伝わる品なのでしょう。上のモノは士筒(さむらいづつ)と言われる大口径の銃です。流石城下町ですね。

連休中は肝焼きは無くて肝煮らしいですが味は生姜が効いて絶品です。

お目当ての鰻重がまいりました。

甘過ぎない味付けで此方も絶品で脱帽です。箸休めの胡瓜の漬物も美味かったです。大満足でした!

さて満腹後の眠気を妹に貰ったコーヒーで誤魔化して坂城町に向かいました。坂城町武田信玄公を2回も負かした村上義清公の本拠地です。場所的には実家の更級を挟んで真逆になります。

『鉄の展示館』に到着しました。

此処は信濃の誇る人間国宝の宮入昭平(行平)さんの作刀場横に作られた建物です。

 
此れは大和伝手掻派の開祖である手掻包永の見事な刀です。僧兵が使った豪壮な造り込みに直刃が美しい太刀姿です。大和手掻派は東大寺の輾磑門(てんがいもん)の横に住んでいた事からついた名と伝わります。地鉄が澄んで綺麗でした。

お次は鎌倉後期の備前長船鍛冶で則光(のりみつ)の太刀です。専門用語ですが備前伝の特徴である映りが顕著に現れておりました。コレもまた板目に杢目が絡んだ絶妙な地鉄です。備前の丁子と映りは何故こんなにマッチングするんでしょうか。フンワリ何とも表現の仕様が有りません。

郷とお化けは見た事ないと言われた郷則重の太刀です。さすがに相州伝上工だと思わせるような変化に富んだ素晴らしい地鉄です。潤いのある地徹の中で独特の松皮肌が出てました!鎌倉時代末期の作刀と説明書きにござました。

もう言葉が有りません! 備前の一文字良房の太刀です。しばらく此の太刀の前から動けませんでした。この世のモノでは無いような感じで語る言葉すら見つかりません!

そして粟田口藤四郎吉光です。兎に角とんでもありません! 刀剣史上最高の地鉄と言われているのが分かります。

拡大すると小杢目とか梨地と言われている理由が分かる地鉄です。梨を切った時に梨から果汁が滲み出るように、此の刀の地鉄からも滲み出て来そうです。

豊後国行平です。古今伝授の太刀と同作者と言う事になります。大分研ぎ減ってはおりますが、此の黄金比で構成された反りの優美さはどうでしょう!若い美人では無く歳を重ねたベッピンさんとでも申しましょうか。

正清の脇差が有りました。こちらは江戸中期頃の作ですね。地鉄が良く練られて強そうな印象で身幅と重ねが厚い薩摩刀らしい一振です。

他にも沢山展示されており、思わず時間を忘れる一時を過ごさせて頂きました。美味しい物を頂き、この上無い美しい太刀を拝見し、大満足な一日となりました。

最後に悠久の流れである千曲川を見て家路につきました。