みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

モデルナアームと思う処

モデルナ社のコロナワクチンを職域接種で受けました。1回目は何とも有りませんでしたが、今週水曜日に2回目を受けたところで少し変わった副作用が出てしまいました。私の場合は強烈な睡魔が襲って来たのです! 仕事中にも関わらず、デスクで1時間程の大爆睡でした(笑)。他は別に発熱する訳でも無く、倦怠感が出る訳でもありませんでしたが、社員の中では体調を崩して2日程休みを取る者もおりました。2日目以後は何故か眠りが深く、電車の中は勿論ですが部下とはなしている最中にも何回か落ちてしまいました。注射を打った腕は赤く腫れており、痛みはまったく無いのですが、赤く晴れておりおります。コレが昨今言われているモデルナアームらしいです。ガンダム世代の私にとってモデルナアームという響きは、何かこう腕にアーマーを付けて強くなったような気がしており、我ながら馬鹿過ぎて一人で苦笑してました。

前回木曽に釣行した時にトイレに寄りたくなったので巴淵にある公衆トイレを借りに無料駐車場に車を止め、用を足した後で巴淵を除いてみると初夏の緑に映えて美しい流れでした。

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巴淵には龍神伝説が残り、此の淵に住う龍神様が巴として生まれたと伝わります。巴は四郎兼光の娘とも兼遠公の娘とも伝わっておりますが、最強の女武者として義仲公を助けた事は間違いございません。世の中では義仲公の妻とされておりますが実際には妻ではなかったようです。源平盛衰記においては大力で一騎当千の強者とされております。粟津の戦いで義仲公が最後を迎える前に落ち延びるように命令されました。巴は最後の御奉公と敵の恩田八郎師重が現れたところを馬を横付けし、恩田を馬から引きずり落とし、組み伏せて首を掻き切ったとされております。此の一時を見ても相当に屈強な女武者であったと思われ、正に竜神さまの生まれ変わりの様ですね。

wikiより
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長大な薙刀を馬上で保持できるだけの膂力の持ち主であった事が垣間見れます。

観世流能楽師範の父より『巴』という題名で謡曲が有る事を聞いてた時から私の木曽義仲公に対する興味は始まりました。平家物語やその他の源平合戦の表現において義仲公が粗野に描かれている事が信州人として面白くございませんでした。そんな訳で今年のオフシーズンは義仲公について色々綴って行こうと思います。社会人になる前の話ですが、刀剣が趣味の一つでもある私は長年見たかった箱根神社所蔵の義仲公佩刀『微塵丸』を大学4年の時に慧眼しました。義仲公と共に世の中を変えた微塵丸の前において一時時間以上も動けませんでした。同時に釣りを通して木曽は第二の故郷とも思っており、木曽の中原兼遠公が養育された義仲公に対しての想いは30年以上経過した今でもとても強いモノがございます。後世で義仲四天王と言われた猛者たちは義に厚く剛力無双の『根井行親』そして行親の子である『盾親忠』兼遠公の次男である『樋口次郎兼光』同じく四男である『今井四郎兼平』がおります。他にも多くの武将が挙兵に参加しておりますが、中でも諏訪下社大祝であり、当代随一の弓の名手である金刺盛澄公、弟である光盛の合力は義仲公も大変力強く感じたのではないでしょうか。合力した武将は、そのまま当時における信濃国を代表する有力な武将です。此処まで書いただけでも胸が熱くなります。因みに金刺光盛公の弓術は残念ながら敵となった厳しい梶原景時公の心も動かしました(2019年7月22日の史跡探索 梶原景時公館跡をご参考)。

前回の釣行の時にリニューアルオープンした義仲館を後学為に見学しました。内容も以前比べて一層素晴らしいものになっておりましたので興味のある方は是非行ってみて下さい。

義仲館前にある義仲公と巴御前野像。
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源氏の旗印である笹竜胆が基礎の空に棚引いてました。
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