本日は保管している刀装具のうち意匠の意味が全く解らなかった物についてNHK様の放送された寺院の本堂に彫刻された意匠と同じ物であり、長年の疑問が解けた事と御先祖様の気概が時間を超えて私に伝わって来た話です。
目貫
刀の柄(手で持つ部分)に付けられる手持ちを良くする為の金具で表裏一対となります。此の目貫は赤銅地に金や銀の色絵が施されている江戸時代の目貫だと思われます。私の先祖が残した脇差の柄に付属しておりました。通常は上に柄糸が巻かれており全景は解らない事が多いものです。しかし柄糸を解いて見てみても何の図柄なのか全く解らなかったのです。
目貫の拡大図(横の長さは3cmほどです)
もう片方です
だいぶ前の話ですが父が他界した後に受け継いだ刀剣類を研ぎに出しました。此の目貫が付いていた脇差についてはボロボロの拵えだったので新しく白鞘を誂え、拵えに付いていた金具を取り外して分け、それぞれを桐箱に入れて保管していた次第です。
研ぎ上がって保管している長脇差です。匂出来で尖った刃文は美濃伝特有であり、兼氏の銘が切られております。兼氏でもかなり後代の兼氏で美術的価値は極めて低い物です。
自分の無知加減を晒しますが、此の目貫の意匠について昨年の12月6日に綴った記事に私は次の様に書きました。『雲龍に古の武人が乗り勾玉の様な物を両手に捧げております。武将の顔の大きさは1mm有るか無いかです!曲玉を捧げ持って竜に乗るなんて一体何の物語でしょうか? 佩いている太刀は直刀なので平安時代迄の物語だと思うのですが....』 ところが此の意匠は先ず雲龍で無く龍であり、両手で捧げている物は勾玉で無く靴でした。また武人でなく天命を持った偉大な軍師でした。更に場所は日本でなく秦の時代の中国でした。判明した此の目貫の図柄は『黄石公と張良の図』です。高校生の頃に父の蔵書の中から何度も持ち出して読み返した司馬遼太郎の項羽と劉邦に出て来た故事でした。好きなシーンだっただけに気が付かなかったのは私の見識の浅さが露呈した事となります...トホホ。
刀装具の意匠には度々大陸の故事が用いられます。三国志の美髭公こと関羽雲長や鍾馗様、中国の神仙である蝦蟇仙人や鉄拐仙人など中国に由来する物が結構多いのです。此の張良と黄石公の話は面白いな話なので私の知る範囲で申し訳ありませんが少し紹介してみます。
張良 wikiより
張良は字を子房と言い、紀元前の人で秦国の最後から前漢初期において高祖劉邦の覇業を支えた偉人です。物語は其の張良が世に出る前の話です! 勤勉な張良が世の中の為に役立つ様にと熱心に軍学の勉強に励んでおりました。しかし勉強が進むにつれて大きな壁にあたり、日々猛烈に苦悩しておりました。そんなある日の夢に白い顎髭を生やした老人がたって『秘伝を授けるので5日後の夜明けに向こうの土橋の所まで来なさい』とお告げを致しました。素直な張良は5日後の夜明けに土橋まで行ってみると老人は既にきており『人に教えを乞う者が先生より後に来るとは何事か?また5日後に来い バカモン!』と叱られてしまいました。張良はカチンと来たと思いますが我慢して5日後には前日から橋まで行って待機して老人を待っておりました。しばらくすると其処に白馬に乗った老人が現れ、既に到着していた張良を見とめると、なんと川に向かって己が靴を投げ捨てました。そして張良に対して『靴が落ちたから取って来い』と言いました。張良はムカつきましたがグッと堪えて靴を拾いに川にザブンと入りました。流されて行く靴を追って下流に向かうと何処からともなく龍が現れて其の靴を咥えて逃げ去ろうとしたのです! 張良は靴を取られてなるものかと腰の太刀を抜いて斬りかかりました。張良の余りの気迫に恐れを成した龍は靴を張良に渡しました。だいぶ下流まで来てしまったので早く戻ろうと龍に跨り橋に戻り、老人に靴を『お待たせ致しました』と仰ぎ渡しました。老人は靴を受け取り『お前は強いものに立ち向かう勇気を備えており、忍耐力も備わっているのでコレを授ける』と言って軍略の秘伝が記された巻物を張良に渡しました。其の巻物には今迄解く事が出来なかった予想も困難な軍略の妙が記して有り、張良は其の軍略を用いて劉邦を助けて中国を統一したのです。さて其の後の話ですが張良が乗った龍は空に昇り龍神となり、老人は天からの任務を果たして山に帰り黄色い石になったので『黄石公』と言われるように成りました。我が御先祖様が残した脇差に付いていた目貫は此の事を図柄にした物でした。知ってから改めて見ると如何にもその通りの意匠です。私のアンテナが低過ぎて全く思い当たらなかったのです!
黄石公 wikiより
簡単に言うと張良という天恵を持った大天才が私欲抜きで世の中の為に軍学を極めようと幼き頃より日夜勉学に励み、自己の高い精神性から更なる天恵を受けて大功を成し得た話です。此の話で大事な事として功を成すには人間としての成長が必要不可欠で有り、話の中では常に年長者を敬う事や我慢と勇気などの品格を備える事が必要であり、その様な人物に天はチャンスを与えるという事です。恐らく日本の武士にとって此の話が当時の気風に合致した話であったと考えます。我が家の御先祖様も脇差に己が道しるべとして此の意匠の目貫を付けていたものと思われます。江戸時代の脇差と言うのは武士にとっての表道具です。大刀は場内に入る時は城の玄関で預けて入りますが、脇差だけは帯びる事を許されておりました。他にもちょっとした外出などは大刀は帯びずに脇差のみで出かける事が日常であり、何種類かの脇差を所有していたと色々な文献で伝わっております。其れ故に脇差の柄に装備した金具には個人の趣向が強く出るのです。自分の先祖の帯びていた脇差に付いていた目貫の意匠に込められた意味をやっと理解出来て私自身とても嬉しく思っております。また同時に御先祖様が後の為に残した貴重な戒めとして改めて胸に刻んだ次第です。