みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

趣味の話 小さな美術品 根付の話

根付(ねつけ)とは日本における江戸期に使用された和服着用時の留め具です。印籠や煙草入れや小型の巾着袋などを帯に留めるための道具なのです。明治以降に洋服が主流になり廃れていったとの事ですが、一昔前の携帯に付けたストラップも此の名残りです。大きさは小さい物だと1cm程で大きいと4cmを超える物もございます。当時は3Dプリンターなと当然のことながら無いので全て専門の職人の手造りです。材料は象牙や黒檀が高級品で動物の骨やイチイ、他には黄楊なども使われたみたいです。

応仁の乱から継続した戦乱が治り、元和偃武以降は世の中が落ち着き、ご存知の様に徳川家の治世が始まります。家康公は早くから薬の効力を重視して平和な世の中になっても配下の者に薬の携帯を奨励致しました。その為に配下の武士は傷薬や腹痛止めなどを印籠に入れて持ち歩く様になったと言われております。其の印籠を帯に留める為にどうしても留め具か必要だった訳です。この小さな芸術品は日本国内は元より海外にも熱烈なコレクターが存在し、日本の皇室におきましても高円宮憲仁親王殿下夫妻のコレクションが特に有名で国立博物館に寄贈されております。上野の国立博物館に足を運ばれた方は特別ブースに並べられている根付をご覧になった方も多いと思います。私も何度か慧眼させて頂きましたが全て名品ばかりで堪能させて頂きました。

玉抱獅子根付
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 獅子とライオンを一緒にお考えの方もいらっしゃると思いますが別でごさいます。獅子は麒麟と同じで空想上の生き物です。父から聞いた話ですが獅子は一説に貔貅(ひきゅう)という神獣で別名避邪とも言われ魔を払う意味を含む意味があるとの事でした。また貔貅は天帝の愛獣で食べ物は財宝を食し、お尻の穴が存在しないので財宝はお腹に貯まるだけであり、金運の守り神でも有るとの事でした。此の事を観世流能楽師範である父から聞いた時は、さぞかし貔貅さんはお腹が苦しそうだな...と子供心に思いました。

恥ずかしながら私はゴジラの映画に出て来たキングシーサが連想されます。
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時代を経て材質に味が出ております。
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裏はこんな感じ!
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福禄寿根付
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此れは印籠に付いていたと思われる大きいタイプの根付です。時代を経て象牙に良い色が付いております。帯に下から上へ通して帯の前に下ろした状態で目立つ様な意匠となっております。象牙が良い色合いに成り、意匠は宝船に乗る福禄寿と従者が楽しげにしている光景で有り、鑑賞していて何だか楽しくなる意匠です。

裏です。
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福禄寿様は遠くを見ている表情です。
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従者は宝物を納めた袋を抱えております。
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家の先祖が使用した印籠です。
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四種類の薬が収められる様です。
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印籠の左右に付いている紐を止める物です。此れも入念な彫りが施されておりますが、お恥ずかしいですが彫りが何だか不勉強で分かりません。本当に小さい物です!
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アイヌ人目貫 一対
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アイヌの方の姿を彫った根付で左右一対で仕上げられた物です。左の方は鮭を抱えております。

銘は正之と有りますが全く誰だか分かりません。アイヌの歴史は古く江戸時代には松前藩と争った経緯がございます。
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江戸時代の人口構成は武家が8%で武家以外が92%との資料が残っているのと事ですが、武家から始まった根付文化も次第に町人にも浸透しました。特に裕福な商人は贅を凝らした逸品を職人に注文し、技を競った職人達の技術も向上したとの事です。しかし最初から根付が有った訳ではなく根付の代わりとして江戸初期はそれまでに明国から伝わった糸印(イトイン)と言われる銅製の印鑑が根付の代わりに使われたいたみたいです。糸印は豊臣秀吉が朱印状に押印した事で有名ですが、明国が滅亡してからは糸印が日本に来なくなりました。代わりに日本人の職工に糸印を作らせたのが根付文化の始まりとされております。その後は前述した様に徳川家康公が薬を携帯する事を奨励した事につながってまいります。根付について記した書籍を15年程前に数冊読みましたが様々な説もあるみたいですね! 拙い見識しか持ち合わせていない私の個人的な『思い』ですが、日本の工芸品は根付にしても刀装具にしても品が良く纏められており、一つひとつに意味が存在し、製作者或いは注文主の思いがギュッと詰まった世界に誇れる美術品だと思いますので刀剣女子の出現などは喜ばしい事だと思います。今の若い女性が10年もすれば御子様を持つ様に成り、お母さんが好きだと子供さんも嫌いには成らないと考える事と価値観は親から子に引き継がれます。親が大事にしていた物を例え手放したとしても仕方有りませんが価値観のみは残る筈です。其れが例え一世代としても素晴らしい事だと思います。