私めの釣りにおける最初の師匠は観世流能楽師範である父親でした。更科を含む北信は宴席の中座の締めに『お慶びの杯』と言われる杯事が有り、謡(うたい)が必ず必要になり、能楽が盛んな土地柄なのです。更科では一様に『北信流』と言われております。
そんな父親が息子用に作ってくれた竿は二間(3.6m)程の竹の一本竿の元竿に細紐を巻き、竿先に蛇口を付けた竿でした。小学高低学年の私は嬉しくて嬉しくて近所の兄貴分達と近くの川に通いまくりました。真田毛鉤を使った『引き虫』と呼ばれる流し毛針釣りや冬場には千曲川本流の沈床の間に餌を入れて鯉や鮒を釣っておりました。更科辺りではアキヲ(ウケクチウグイ)と呼ばれている大物がおり、不意に私の竿に来た時も折れませんでした。最高の大物は50cmのドイツ鯉でタライで泥を吐かせて『鯉のあらい』に成って家族を楽しませてくれました。上田から更科辺りの千曲川本流には婚姻色が出たハヤとか鮎を料理して提供する『つけば小屋』が彼方此方に建って季節を知らせてくれます!私が近くで釣りをしていると漁師の人が河原ヨシを千切ってエラに通してお裾分けして貰った事がよく有り、今となっては懐かしい思い出です。
真田毛針
変な話ですが前腕に力を入れると手が震えます。当時の兄貴分曰く、その微妙な振動が魚を誘うとの事でした。本当に釣れる毛針で子供の私でも簡単にビクが半分程満たされました。
渓流魚に目が向いたのは小学校5年生の時です。父親が竹ビクから尾っぽがはみ出た大イワナを2匹釣って来た時です。子供の私はビックリして、自分も連れて行って欲しいと懇願致しました。しばらくして一緒に連れて行って貰うと精悍な山のイワナが私の竿に掛かり、その野性的で綺麗な魚体にに魅了されてしまいました。其処から私の渓流釣りが始ってしまったのです。当時に於いて親子で山に入ると最初に山神様の祠に無事を祈願致しました。釣りが終わると帰りに山神様の祠にお礼詣りをして山を下りました。其れから40年ほど経ちますが、父もイワナ釣りの師匠も皆同様に天地自然の神に感謝と畏敬の念を抱く事をわたしに教えてくれました。
今年は其の神様を間近に感じる神社に思いがけず参拝致出来ました。詳しくは8月15日にアップした記事をご覧頂ければ幸いです。
本殿の横にある滝です 流れ落ちる神池の中に竜神様の御頭のようなモノが有るように見受けられます。
次の釣行の時もしっかり釣れたので御礼詣りを致しました。一方渓友は不完全燃焼でしたので『どうか雨が降ります様に』と祈願致しますと13時頃から大雨となり、不思議にマズメ前には止みました。其の時に何気なく空模様を写した写真がコレです。
口髭をはやした大きな御顔をされた天の神様が口から雨雲を吐いてくれている様に感じました。渓友はその後に立派な魚が釣れたので再度2人でお礼詣りに伺いました。
2回目に参拝した時に釣友達を写した写真です。滝の神様だと思われる古代人の髪型をした神がお出ましになったのでしょうか?
仮にただの偶然だと致しましても本当にご出現されたと致しましても私には有り難い事です。今後も精霊の土地である木曽川上流部を鎮護頂ける事と思います。また神社を管理している神職の方は勿論ですが、数代に渡り清掃や整備などを行なっている氏子の皆様方の日頃のお手間に感謝する次第です。