みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

戦艦三笠

戦艦三笠です 現在は記念艦三笠f:id:rcenci:20200209072904j:plainf:id:rcenci:20200209081040j:plain

日本の命運を左右した大戦であった日本海海戦において大活躍致しました。帝国海軍がイギリスヴィッカー社に発注し製造された当時最新鋭の戦艦でした。ロシア旅順艦隊と黄海海戦に望み、敵砲撃を20発も船体に受けました。その後日本の命運を決める日本海海戦において当時世界最強のロシアバルチック艦隊を撃破した事は有名です。当時の艦長は薩摩の名門伊地知家の伊地知彦次郎であり、同じく薩摩の東郷平八郎司令長官が海軍きっての秀才である秋山真之が立案した丁字戦法を用いて海戦史上稀に見る大勝利を治めたのです。当時参謀であった秋山真之は『坂の上の雲』の主人公として登場した帝国海軍の軍人です。兄は秋山好古で有り、日本における騎兵の父と称され、最強軍団であるコサック騎兵団と戦った帝国陸軍の英雄です。話は戻りますが、戦艦三笠は其の後に様々な悲運に見舞われました。現在は歴史の証として横須賀に記念艦と成って残されております。

三笠の左舷f:id:rcenci:20200209074220j:plain 
三笠の主砲f:id:rcenci:20200209074244j:plain

三笠の主砲の砲弾 最大射程は10kmと明記されておりましたf:id:rcenci:20200209074724j:plain

黄海海戦で敵弾を受け大破した手砲の一部です
此れだけの厚さを破壊する威力だったのですね!f:id:rcenci:20200209074706j:plain


知らない人も多いと思われますので少しだけ戦後の三笠について綴ります。戦後に於いて日本はご存知の様に連合国軍の管理下に置かれておりました。ソ連のクズマ.テレビヤンコ中将により日本軍の武装解除方針に基づいて戦艦三笠も解体と成りかけましたが、反共産主義であった米国陸軍少将の猛反対を受けて解体を免れました。その後の戦艦三笠は鋼材目当ての泥棒や進駐軍に船体を剥がされたりしてボロボロになりました。そんな中で英雄東郷平八郎元帥を敬愛していたチェスター.二ミッツ元師が、荒廃した三笠の惨状を知って激怒し、海軍兵士を見張りに立たせて此れを守りました。然し二ミッツ元帥も任を離れると三笠の艦内に米軍がダンスホールなどの娯楽施設を造ったり、歴史の生き証である戦艦三笠はその姿を大きく変えて行きました。其れをイギリス人であるジョン.ルーピンが新聞に投書すると大きな話題となりました。此れを知った二ミッツ元帥が米国海軍に働きかけて廃艦を日本に寄贈させ、廃材としての代金を三笠復興に充てさせたり、個人の資金を寄付したり致しました。また二ミッツ元帥は空襲で全焼した東郷神社の為に自署の売り上げの一部を東郷神社奉賛会に寄付致しました。此れを契機に三笠の保存運動が盛り上がりを見せました。やがて重たい腰を上げた政府により多額の予算が承認されて三笠は復元されました。米軍が持ち去った船体の部品はほぼ全てが返却され、運良くチリ海軍に納入されていた同型の戦艦が同時期に現役を退き、チリ政府から船体部品が寄贈されました。以上かなり経緯を簡略化した説明で諸先輩よりお叱りを受けそうですが、こうして三笠は奇跡的に復活したのです! 現在は博物館として広く一般に開放されております。

船体横に設置されている大砲の砲弾を詰めている様子が再現されておりますf:id:rcenci:20200209074804j:plain

通信室では通信兵が働いている様子が見て取れますf:id:rcenci:20200209074837j:plain

秋山真之の写真 f:id:rcenci:20200209074914j:plain愛媛県松山市の士族の家に生まれて軍人を志ます。兄の秋山好古は陸軍、本人は海軍を選びました。『智謀沸くが如し』と言われた努力の人であり、入院中に村上水軍の戦法を研究し、近代戦法へと転用した『丁字戦法』で日本を勝利に導いた人物です。

戦艦三笠内にある会議室 秋山参謀や東郷平八郎司令官が会議をしていたと思うと胸が熱くなりますf:id:rcenci:20200209074946j:plain

チェスター.二ミッツ元帥(ウィキより)f:id:rcenci:20200209075024j:plain
同じテキサス出身のプロレスラーである『鉄の爪』フリッツフォン.エリックとダブります

米国海軍チェスター.二ミッツ元帥は明治38年日本海海戦の勝利祝賀会において東京湾に停泊していた戦艦オハイオに招待状が届けられて事で祝勝会に参加致しました。参加した二ミッツ氏は東郷平八郎総司令官の飾らぬ気さくさに深い感銘を受け、生涯敬愛し続けたのです。其の二ミッツ元帥が後の太平洋戦争においてアメリカ太平洋艦隊を司令官として率い、日本と戦う事になろうとは、なんと皮肉な運命の悪戯でしょうか! 太平洋戦争では多くの日本国民の尊い命が奪われ、私の身内もレイテ沖海戦航空母艦千代田の志願兵として乗艦し、フィリピン沖に沈み、現在は靖国神社に英霊として祀られております。今後二度と同じ様な悲劇を繰り返さない為にも『戦艦三笠』は様々な教訓を我々に現在においても雄弁に語っております。 

アジアの小国である日本が世界の大国であるロシアに勝利した事は全アジアにとっても大きなインパクトと成り、欧州列強によるアジア諸国植民地化からの独立に大きく貢献致しました。インドの独立闘争を指揮した初代首相ネルーは『日本は勝ち大国の列に加わる望みを遂げた。アジアの一国である日本の勝利はアジア全ての国々に大きな影響を与えた』と日本の勝利に血が逆流する程感動し身震いしたと言われております。中国建国の父と称される孫文は『これはアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。この日本の勝利は全アジアに影響を及ぼし、アジア民族は極めて大きな希望を抱くに至った』と述べております。現在のアジア諸国の大躍進のキッカケは日本海海戦の勝利であり、その前に行われた旅順要塞攻略戦による多大な犠牲を始め、日露戦争尊い命を亡くされた数多の英霊と大黒柱を失った家族の艱難辛苦を背景に成された事であります。それ程の大きな事を為し得た戦艦三笠に改めて赤心より拝礼致しました。

余談とはなりますが、、、
私の叔父がフィリピンのレイテ沖海戦で乗艦した水上機母艦千代田の模型を三笠艦内で発見しました  f:id:rcenci:20200209075049j:plain正直に言いますと初めて見ました! 叔父ちゃんゴメンなさい!