みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

決意の短刀拵え

綴るか否か悩んだのですが綴る事にしたので書き残します。私に取っては決意の印となる短刀拵えの話です。女々しい箇所も有るかと思いますが免じてお許し下さい。
平成24年の春に妻の乳癌が見つかり最寄りの病院で検査の後に手術致しました。術後一年弱で摘出場所に再度癌が見つかり再手術致しました。その後しばらくして妻の体に遠隔転移が見つかり化学治療を繰り返しましたが平成29年4月29日早朝に2人の娘に心を残して他界してしまいました。4月1日に次女の高校の入学式に妻は同伴したかったのですが、叶えられずに式後に病室を訪れた真新しい制服の娘に笑顔を見せていたのが今でも脳裏に焼き付いております。その後お葬式などで慌ただしく時は過ぎました。しばらくは家の何処に何があるのか?全く知らないので本当に困り、全て自分で整理するのに一ヶ月程掛かりました。15年程前に父親を亡くした時は、大きな傘が急に無くなった感覚を覚えましたが、妻の場合は更に強烈な表現出来ない程の大きな失望感でした。然し娘2人と信州更科に住まう母親と他県で暮らす妹夫婦と自分の職場の部下27名とその家族の為に意気地の無い事では全く前に進みません。其処で気持ちを切り換えるのは無理でしたが、行動を切り換えました。高校生の時に陸上部の恩師にキツイ練習で嫌になっても、『まずグランドに立つ事だ.....立てば体が勝手に動く』と教えられた事がその時は大いに役に立ちました。
然し....私が懸念した事は、今後私が死んで、娘達も嫁ぎ他家の者となり、娘の子供の代となったら、我が妻の事を誰も知らなくなって仕舞う事でした。そんな事だけは絶対に承知出来ません。其処である一つの方法を思い付きました。通夜や出棺前など最後の場面で妻の体の上で悪霊から妻の体を守ってくれた短刀に拵えを作ろう! 其処には妻の干支の目貫を付けて、小柄裏の平地に妻の名前と娘2人を立派に育てた事を刻み込んで後世に残そう!そしで娘2人に家宝として伝えよう!
 
思い付いたら速攻が私のやり方なので、以前より名前だけ知っていた大阪の刀身彫刻師に連絡を取り、妻の干支である猪の目貫を金無垢で誂える事と我家の家紋と妻の家の家紋を施した小柄と小柄の裏の平地に妻が今生において成し遂げた事を彫る様に依頼しました。鞘には私の家と妻の家が婚姻を結んだ証となる様に両家の家紋を蒔絵で施す事と致しました。無理難題にも大阪の先生は快く引き受けてくれました。一年弱の製作期間を経て出来上がったのが此の拵えです。
 

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黒漆潤み塗家紋蒔絵鞘合口拵え
 
 

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岩崎範光氏の手による金無垢猪図目貫
 
 

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岩崎範光氏作 赤銅魚子地家紋高彫小柄 
 
 

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小柄の裏に彫り込んだ銘文(申し訳有りません、名前の部分は画像より消しました)

 
刀身は岐阜県関市在住の藤原正明(本名は吉田研)刀匠の短刀です。平成4年に登録されており、私の入社年次と同じなので自分の守り刀として以前購入しておりました。 
 

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藤原正明9寸4分 身幅広く重ね薄く平造り 表に護摩箸 裏に腰樋 鍛えは板目肌 刃文は小沸出来で広直刃調に互の目足入る 鍛えに沿って金筋しきりに入る 帽子は突き上げて丸くかえる  総じて相州伝の造り込み
 
まさか我が妻の体の上に守り刀として置く事に成ろうとは全く持って夢にも思いませんでした。此の刀と拵えは娘2人の結婚式に帯びて妻の魂魄と共に2人の門出を見守ろうと考えております。当時に於いてお金をかける場所は此処では無いだろうという事も脳裏をかすめました。しかし妻が生涯をかけた娘2人の行く末を導く事と様々な事に対して私の決意の印として誂えました。

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