みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

甲斐国 一ノ瀬川での釣り

一ノ瀬川は多摩川の最上流であり、柳沢川と別れてからは峡谷を通りますが、一ノ瀬高原に近づくに従い入渓し易くなります。三ノ瀬川、中島川、一ノ瀬川と別れますが、本流筋は一ノ瀬川となります。亡妻の父上が一ノ瀬の出身であり、現在は父の兄である叔父が、元の家の有った場所に別荘を建てており、私も時たま宿泊させて貰ってます。直ぐ横には東京都民の命の水を守る番人を務める美しい渓魚達が住む川が有るなんて、私にとっては天国の様な場所です。最近は鹿さんが増えて、春の山菜は食べられて少ないですが、秋には美味しいキノコも取れますよ。

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昨年大菩薩の湯に秋に出かけ、マンズワイナリーのレストランででワイン豚を味わい、ついでに山を見に行ったら、思いがけなく取れてしまったシメジです。確かその晩はシメジご飯でした。

場所は少し離れますが武田家の金山である黒川金山があります。それと少し怖い話ですが、一ノ瀬川と柳沢川合流点の近くには花魁淵と言われる滝壺が有ります。戦国動乱の最中に武田勝頼が天目山で没し、織田軍から黒川金山の秘密を守るため金山で働く鉱山労働者と配下の武士全てと、遊女55人を皆殺しにする事が武田家金山奉行によって決っしました。男は全て殺され、遊女55人は滝壺に藤蔓で組んだ台座の上に宴席を設け、酒宴と称してその上で舞を舞わせせて、蔓を切り落とし滝壺に沈めました。それ以来此の滝壺を花魁淵と地元の方は伝承しております。遊女の体が流れ着いた下流丹波山村には遊女の供養の為、花魁堂なるお堂も存在致します。戦国乱世の悲話ですが、余りに悲し過ぎる話ですね。

話は戻りますが、一ノ瀬集落は昨今の諸事情で父の実家周辺も最近は高齢化で住まう人は殆ど居ません。それと地方ではよくある事ですが、この辺りは全ての家が楠さんと田辺さんです。父の家の家紋は菊水紋で、かの有名な千早城で数十倍の幕府軍と対峙した大南公と所縁の血筋との事。南朝の忠臣大南公の話題に触れますと私の心はは熱く成り、釣りの事を綴るどころでは無くなりますのでご紹介だけ致します。

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肝心の釣りです。川の規模が小さな分、魚体も中古型ですね。今迄3匹の尺ものを釣った事がありますが、泊まったら夕立の強烈なヤツが来て大増水した後の引き際など、極めて稀な局面でした。此の川の渓魚は美しく、容姿は北杜市の尾白川の魚と並んで甲斐国一だと思います。別荘の横の空き地から川に降りました。白い花崗岩の岩、花崗岩の崩れた黄鉄鉱を交えた川砂で川全体的に白いですね。今日はお父さんと私の2人分なので、水の番人様を二匹だけ頂く事に致しました。

15cmクラスを8匹リリースした後に御登場頂いたのは太ったアマゴでした。

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綺麗な小型を釣ってはリリースを繰り返し、やっと食べ頃サイズのイワナが出てくれました。

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もう夕飯の肴はこの二匹で充分ですので、終いにしました。

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この時期花を咲かせるスカシユリですね!多くのユリが下向きに花を咲かせますが、このユリは上を向いているのと、目立つオレンジ色です。前向きであり常にポジィティブな感じがして好きな花の一つです。




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