みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

研ぎ上がった大脇差

家に伝わった刀を研ぎに出したのは此れで

3口(フリ)目と成りました。研ぎ師の先生にお願いして一年4ヶ月でした。

先生のお話では、何でも鞘師は不足しており、中名倉砥まで仕上げて鞘師さんに出しているが、とても混んでいてとの事でした。今の時代に、まさか使うわけでも無いので期間は気に留めておりませんが、日本の伝統を引き継ぐ方々の不足は無性に心配になります。しかし考えてみると、修繕に多くの刀剣類が出されていると言う事は即ち後世に伝わる刀剣類が増えていると言う事でも有り、其々の家伝の愛刀が一口でも復元される事は素晴らしい事でもありますので、待つ事も逆に喜ぶべき事です。

 

刀剣類は家の先祖が何らかの形で入手した物です。購ったのか? 拝領したのか? 分捕ったのか? は分かりませんが士分のみでは無く商人や農民も何らかの形で各家で所持していたものと伝え聞いてます。祖父が手入れをしているのを子供心に大いに関心を持って見ておりました。その時の凛とした座敷の空気、背筋を伸ばし刀を持つ祖父の姿、青黒い鉄色、信州の夏空に浮かぶ雲のような白い刃文(今から思えば刃取り).浅間山の稜線の様な綺麗な反りなどを正座して見ておりました。

祖父に喋りかけると、そっと口元に手を当て『しっ』と声を立てない様にする合図をされました。祖父が刀を鞘に納めるまで我慢して、納め終わったら柔和な何時もの祖父の顔に戻るのを確認して、稚拙な質問をしたものでした。質問の内容は余りに稚拙過ぎて、とてもご披露は出来ません。

千曲川本流や沢の上流で魚を取って腸を出すのに必ず刃物は必要です。ずっと工作でも使ってた切り出しナイフに父親が木の鞘を付けてくれた物を使用してましたが、同じ刃物でも刀とは全く異次元に感じられました。

 

そんな環境で育ったので刀が危険なモノとかの感覚は全く有りません。むしろ床の間の刀掛けや刀箪笥に保管され、家宝として扱われているのを垣間見て、とても神聖な物であるとの意識の方が断然強いのです。

母の兄も大変な蒐集家で山浦一門の名刀をはじめ多数所持しており、素晴らしい地鉄と荒々しい刃物に見惚れ、拵えに付いている金具の意匠に対する様々な意味などを教えて貰いました。

 

前置きが長くなりましたが、今回研ぎ上がった刀は脇差と現代では分類されるものです。現代の尺度では60cmより短い物で、30cmより長い物が脇差と呼ばれます。30cm以下は短刀で、たまに30cmを超える短刀を寸伸び短刀と表現したり致します。

今回の脇差は60cmを数ミリ下回るもので脇差の中でも大脇差と呼ばれ、恐らくは通常の刀として使用されていた物と推察致します。

父が生前に『良いものではないので研ぐな』と言っておりましたが、父の形見として、祖父の形見としての脇差を私の代で錆びて朽ちさせたくないと考えて研ぎに出しました。白鞘制作費込みで20万でしたが、曲がりは有るし、刃毀れは有るし、錆は有るしで酷い状態でしたので、かなり良心的な値段でした。

 

銘は有りますが、大和から美濃に来た高名な刀工のお名前で、その後に同じ美濃にある直江村に移っても沢山のお弟子さんを育成した説話の残る大変な偉人です。おそらくは偉人の名前を偲んだ後代も大後代の江戸時代に生きた刀工さんが打った物だと考えます。

研ぎに出す前は錆で隠れてましたが、差し表の物打ち付近の鎬辺りに小傷群が出てました。   う〜ん!  やはり父親の話は正解だったと言う事です。

ムムム!....,,でも良いのです!  

小傷?  本望です.,.と開き直り.

今年のお盆には祭壇の横に刀掛けを置き、研ぎ上がった大脇差を掛けて、

ご先祖様にも見てもらう予定です。

脇差の内容は本造、庵棟、生茎、鑢目は桧垣、板目肌、反り程よく、刃文は互の目に尖り刃が混じる。匂口締まりに刃縁に小沸つく。湯走り入り、小足と葉が働く。帽子はそのまま入り掃きがけて帰る。

専門用語で説明するとこんな感じになりますが、美濃伝の特徴がよく出た造りですね。  

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後は近くの諏訪神社祝詞をあげて貰い、定期的に手入れと鑑賞を行い、刀箪笥で保管致します。