2024-01-01から1年間の記事一覧
とうとう木曽へ釣りに行ける日が来ました。先週は土曜日に大学の同期会が有り、しこたま飲み過ぎてしまい、日曜日は二日酔いでブログも書けずに寝てました。 昨年秋に新調した本流竿を車に積み込み中央道を直走って現地に着いてみると、目当ての本流は大増水…
今週末は会社の全ての責任者が集まる大会議が有りました。その後は子会社の親分衆も含めた慰労会が行われ、更に其の後は直前に出た大人事異動に伴う地区の歓送迎会が行われました。当然ですが大量のお酒を飲んでしまい、ヘロヘロで町田の自宅まで戻り、とて…
本日は入社以来33年の長いお付き合いである大先輩と千曲川水系に釣りに行きました。最初に入った八千穂の支流はお互いに全く生物反応が無く、早々に退渓しました。次に向かったのは川上村を流れる黒沢川という支流です。 暗いにうちに撮影した国道沿いの気温…
寒くて迷っておりましたが、更科の実家に用事で帰省したついでに近隣の小河川を釣ってみました。妹が作ってくれた昼ごはんを食べた後の出発です。せめて1匹だけでも故郷のイワナの顔さえ見られれば幸いでした。午後の予定も入っており、制限時間は行き帰りも…
今日ご案内させて頂く事は、今年の1月中旬頃に私が勤務している横浜の営業所から、お客さまが経営されている鎌倉鶴ヶ丘八幡宮近隣の店舗に向かった時のお話です。 ところがもう少しで鎌倉に入るタイミングで訪問先のお客座から連絡が入り、アポの時間を1時…
梅の花が綺麗な季節です。晴れの日も雨の日も何とも可憐に目に映りますね。寒い冬が終わりそうな頃に咲く梅の花は春を予感させる花です。今なら手紙を書く時の時候の挨拶は『雨水の候』でしょうか。 昔の話ですが、士族の娘であった祖母がよく手紙を書いてい…
物部連氏が滅び、日本初の女性天皇である推古天皇は甥の厩戸皇子と叔父の蘇我馬子によって政治を行っておりました。推古天皇の父は欽明天皇です。 推古天皇 Wikiより 少し時間を戻しますが、推古天皇の即位の前には押坂彦人大兄皇子と厩戸皇子が候補に上がっ…
お詫び先週は寝る前に布団の上に置いた携帯を思いっきり踏んづけてしまい、携帯が微塵に砕けアップ出来ませんでした。お許し下さい。 さて、今回ご案内したいのは物部守屋大連が打たれた後の話です。元々物部連氏の祖先は饒速日命と長髄彦の妹の間に生まれた…
申し訳有りません。2月2日にアップした記事に対して注釈を入れるのを失念しておりました。捕鳥部万(トトリベノヨロズ) の出自についての話です。 捕鳥部の始祖は天湯河板挙(アマノユカワタ)と言う豪族です。垂仁天皇の皇子である誉津別皇子(ホムツワケノミコ…
こうして蘇我馬子は人事を尽くして物部守屋に戦いを挑みました。用明天皇2年(西暦587年)に豪族の頂点同士が争う『丁未の乱』が始まります。此の日時は今から1436何前となります。以下は両軍の陣容です。 ※ 大臣の蘇我馬子側蘇我馬子 厩戸皇子 聖徳太子の事で…
今回は物部連氏の動向と言うより、物部連氏の怨敵となる蘇我氏について簡単にご案内し、丁未の乱までの経緯を私の知り得る範囲で極簡単にご案内させて頂きます。 馬堀喜孝画伯の欽明天皇です。 時代は第29代欽明天皇の御代となり、物部連氏は絶頂期を向かえ…
物部連氏の統領は伊香色雄(イカシコオ)から物部十千根(モノノベノトオチネ)に移ります。此の親子のおかげで物部連氏の躍進が始まってまいります。 当時の武官はどんな衣装で宮中に参内していたのでしょうか。写真は200〜300年程時代が下った頃の武官の着てい…
今週は古代豪族で一番の勢力を誇った物部氏の発祥と推移をご案内させて頂きます。物部連氏の発祥は河内國の大和川下流域であったと言われております。其処に饒速日命が天ノ磐船で降臨し、此の地を治めていた長髄彦を帰順させました。長髄彦は妹である三炊屋…
本文の前に この度の能登を中心とした大地震で尊い命を亡くされた方々のご冥福を祈ると共に、被災された方々の一日も速い安寧を赤心からお祈り申し上げます。個人的に私の恩師親子も被災しており、心配で仕方有りません。特に高齢のお母さんの御体調が心配で…