みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

夏休み 帰省と迎え盆の準備

今年は夏休みを8月11日から8月16日迄の6日間に渡って取らせて頂く事になりました。更級を起点に釣りざんまいと行きたいのですが、我が家には家訓が存在しているのです。先祖が残した覚書の他にも簡易な口伝で伝わっている事柄も幾つが存在致します。口伝の一つに『迎え盆から送り盆までは殺生を禁止する』と言うモノがありますが、此れは日本全国共通だと思います(違ってたらゴメンなさい)。もう一つは更級を含む北信(北信濃)の民間伝承ですが、石の扉(いしのと読みます)の日(現在では8月1日の事)も殺生は禁止と伝わっております。

お雪の幻 円山応挙 Wikiより 
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幽霊の『お雪さん』は知りませんが、お盆の期間に遺伝子がつながる先祖が家に戻って来てくれる事は子孫にとって嬉しい事です。

お盆は先祖が家に戻る為に、小さい生き物に乗って来ると言われており、其の乗り物である小さい生き物の殺生を行わない様にする事に対しては説明の必要は無いと思います。もう一つの民間伝承として伝わっている『石の扉』については少し話をしてみます。『石の扉』の日には必ずお墓の掃除を朝から行います。そして母は朝から硬めのオヤキを焼いて仏壇に供えるのです。この日は料理が苦手な人用に地元スーパーにオヤキが沢山売られてます。なんでも此の日は地獄の釜の蓋が開く日であり、溢れ出た亡者が、あの世とこの世の境にある石の扉の前まで来た時に、自分の血の繋がっている子孫の供えたオヤキを投げつけて扉を壊し、お盆に各人の家に帰る道のりにつく日であると伝わっているのです。当然ですが私も父の教えを墨守し、小さい頃から石の扉の日と迎え盆から送り盆までは絶対に釣りに行っていないのです。そう考えると私の釣りの出来る日は8月12日の1日のみと成ります。

本日の朝5時30分に三重県松阪駅を出て、お昼前に最寄駅である長野県の篠ノ井駅に着きました。1週間ほど前の事ですが、妹との電話の中で『ねぇ! お兄ちゃん ラザニアの美味しい店が有るのよ! 其処のラザニアはとっても大きいから、絶対気にいるわよ』との話が有り、食いしん坊な私は『なに〜巨大なラザニアだと〜 そりゃ良いじゃないか』と即時承諾してしまったのです。


上信越道の上田.菅平インターの近くで、菅平高原に登る途中に其の店は有りました。我が妹は結婚まで更級に居りましたので地元に詳しくて助かります。義弟も良い男で本当の弟の様です。
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さっそく冷たいヤツを3杯ほど頂きました。オーダーは妹に一任致しました。
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最初は下の円が直系一尺で高さ1尺一寸のサラダです。『カブトムシじゃあるまいし、こんなに野菜ばかり食えるか〜』と言っておりましたが、あっと言う間に終わりました。
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こちらが此の店の名物であるラザニアらしいです。
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特大ラザニアが2つ、他に2〜3人前のパスタを2つ出てまいりましたが、余りの美味しさに驚きました。流石は三国軍事同盟の一角の国で醸成された料理です....見事な量と味でありました。

家に帰ってお風呂に入って一休みした後は、兄弟でお盆の御棚を飾ります。奥座敷の床間に飾るのですが、コレが結構大変なのです。

出来上がった御棚です。 
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祖父も古い家にあった床間の盆飾りを小さい頃から見ていたと言っておりましたので、我が家では古い習慣みたいです。13日の迎え盆には盆提灯を灯し、ご先祖さまに御酒と御馳走をお供えします。更に当日は沢山の花が左右に飾らるのです。

此処からやっと釣りの準備です。更級用の渓流竿と魚籠と餌箱とタモ網やクーラーを取り出し、軽く清めてから車に詰め込みました。後はオニギリを母親に握ってもらって準備完了です。

松阪に転勤してから一度も千曲川には行けなかったので楽しみで仕方ありません。今晩いよいよ出発致します。東京にいる娘2人は迎え盆である13日に新幹線で更級に来る予定になっております。

木曽川 イワナとアマゴ釣り

今年で3年目の何処にも寄らない単独釣行(感染回避の為)は結構大変でして、家に帰ってから諸々の準備が必要です。昨日も帰宅後にアタフタしながら洗濯物を終え、お米を炊いて卵を焼いてウインナーを炒めてお弁当を2つ作りました。娘がテニス部時代に使っていた大きい水筒に大量の氷と麦茶を入れて車に積み込んで松阪を出発致しました。

道中に高速のまま途中で木曽川の河口を渡る橋を通ります。『俺は木曽川を下から上まで向かっているんだな』と今更ながらに気が付いた次第です。そして名古屋を超えて中津川経由でやっと目的地に到着しとのは朝の4時50分でした。お腹が減りましたので2つ作ったうち小さい方のお弁当を頂いてエネルギーを充電致しました。白米に厚焼き卵とウインナーと桃屋のザーサイと言うメニューです。

道端に早咲きのコスモスが咲いてます!
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私の知人は山口百恵さんの秋桜を聞くだけで泣けると言っておりました。私も其の気持ちは良く分かります!

さて釣の方ですが本日は支流に入りました。毎年良い思いをさせて頂いている有難い河川です。水神さまの祠にお詣りしてから入渓致しました。

朝の渓は神々しく感じます。f:id:rcenci:20220806132246j:image

小さい河川ですが、ポイントが所々に出現する良い川です。雨が降れば本流から大きいのが遡上して来ますが、此の渇水気味では難しそうです。
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本日はヒラキにアマゴが居り、落ち込みにはイワナが潜むという典型的な配置でした。谷の割には胴の太い遡上物と思われる個体が主です。3〜4匹に1匹キープくらいの割合で楽しませて貰いました。

一人暮らしの私に5匹は少々多いかも知れません。
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もう充分なので大石にドカっと腰掛けて一服つけました。夏の渓独特の涼やかな空気が汗ばむ体に心地よく感じます。足元のウェーディングシューズを通して感じる渓水の冷たさが気持ち良くて思わず寝てしまいそうになります。今日も木曽の龍神さまに感謝して退渓点に向かいました。
 
この川は何処にどの様なポイントがあるか大体知っているのですが、退渓点手前に良い深みが有りました。

このポイントです。
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一年間入ってないと渓想も変わるのだと思いながら竿を伸ばして仕掛けを投入してみました。そうしましたら、いきなり右の岩陰から何やら巨大な黒い影が飛び出てミミズを咥えました(其のように私には感じました)。反射的に合わせると強烈な引きです。グッグッ〜バシャバシャ! 本日の仕掛けは沢様にフロストン鮎の0.4号を一ヒロの簡易な提灯仕掛けです!『コレは無理だ』と言う思いが脳裏掠めた瞬間にラインブレイクしました。ところが魚が勢いで河原に近いところまで飛ばされて横たわったのです。不憫な大イワナは駆け寄った私の琴奨菊の様なガブリ寄りにより河原に身を乗り上げてしまいました(両足をガニ股に開き岸に追い詰める破廉恥な行為)。

釣れた場所は本流合流点から250mくらいのポイントです。
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この大きさのイワナを成長させるだけの支流では無いので、この魚は間違いなく本流よりの遡上魚だと終わられます。後でワタ抜きして判明しましたが、何やら緑色の虫を大量に食べてました。この虫は時として特効餌になる『ブナ虫』です。私のイメージでは梅雨明けの7月によく出る虫と言うイメージが有ります。ブナ虫とは釣り人に伝わる名前で有り、正式名ブナアオシャチホコと言い、シャチホコ蛾の幼虫なのです。ある時期に大量に木から川に落ち、渓魚は熱狂して其のブナ虫を食べ、其の時は他の餌には見向きもしないと師匠から教えて貰いました。フライフィッシングにもグリーンキャタピラーと言う毛鉤が有り、此れがブナ虫に当たります。恐らくは支流に流れ込んだブナ虫が本流にまで流込み、このイワナは新たなブナ虫を求めて遡上を繰り返していたと思われます。不憫なイワナ君は『さて帰ろうか』と思ったところに私のミミズが流れて来たので、ついでに食べちゃったのです。

大きさはブドウ虫を少し大きくした感じです。  東北森林管理局のHPより
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本日も自然の摂理を体験する貴重な経験をさせて頂きました。車に戻り、後片付けを行ってから2時間程仮眠を取りました。改めて木曽の龍神さまに拝礼し、お昼のお弁当を食べてから松阪までの帰路についた次第です。来週は木曜日から夏休みを取りますので、今年一回も訪問していない千曲川水系か白馬の姫川水系に行ってみようと考えております。

美し国の散策

昨年の10月から美し国(うましくに』と呼ばれている三重県に転任し、10ヶ月が経過しようとしておりますが、勤務地の松阪市から月一回の会議が行われる津市の往復のみで、他の場所を訪ねてみたりする事は致しませんでした。

ところが今回、部下の課長が急に尾鷲にある支店に転勤すること事になったのです。サラリーマンに転勤は付き物ですが、良いヤツだっただけに少し寂しくなります。1週間ほど現地での引き継ぎを行なって来た課長の話だと、尾鷲は魚がとても安くて美味いので、週末にご一緒しませんか?との事でした。距離的には松阪市から1時間半くらいです。せっかくなので転勤した課長と松阪支店の次長と私の3人で訪問してみる事に致しました。心の中では『なんて可愛いヤツだ!』と思った次第です。

40半ばと50代2人の男3人で遠足気分で向かったのはこの店です。店名の『鬼瓦』とは実に面白い名です。なんでもご主人様は格闘家であるとの事です。外も店中も清潔感があって居心地の良い感じがする店でした。
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部下を尻目に今回は運転手ではないので冷酒で喉を潤させて頂きました。
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頼んだ御料理は刺身7点盛り定食の岩牡蠣付きと本日の煮魚ですが、最初に出て来たのは定食セットと岩牡蠣でした。山育ちの私にはどれも此れも美味しそうです。
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大きな岩牡蠣をツルンと頬張ると牡蠣で口の中いっぱいに成り、其れを日本酒で流すと牡蠣の香気が鼻腔を通り過ぎ、思わず目を閉じてしまいました。
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7点盛りのお刺身がまいりました。白身はコリコリの食感で鮮度は抜群です。刺身は熟成の為に寝かせた方が美味いとか、身が活(いか)ってコリコリした方が良いとかありますが、地魚は断然に活かっていた方が美味く感じます。
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お次は大き過ぎて嬉しい煮魚が出てまいりました。なんでも地魚の『よろり』と言う魚らしいですが、此方も美味い魚でした。この辺りで私の胃袋は満タンのうえに更に予備タンクまで満たされてしまいました。
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太刀魚の様に歯が凄いです。
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ご馳走の三段攻めでスッカリ満腹+予備タンクまで満腹になりました。其の後は、せっかくなので少し観光しようと言う話になりました。そこで名勝地で世界遺産でもある鬼が城と言う場所に寄ってみました。

凄い景色です! 海無し県出身の私には眩いばかりです。
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見事な鳶が舞い降りてまいりました。鳶は神武天皇に勝利をもたらせた縁起の良い鳥ですので有難い事です。
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自然の造形美が大迫力でした。
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鬼が城を後にして、もう一つ部下のおすすめの場所に向かいました。其の名は花の窟神社(はなのいわやじんしゃ)と言う巨大な磐座が御神体である神社です。此方の神社は日本書紀にも記されている伊邪那美大神をお祀りしている日本最古の神社と言われているみたいです。

参道にはノボリが立っておりました。此の神社の新紋は天皇家の五七の桐みたいです。
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岩山から落ちて来たと言われている玉石が神秘的です。この玉石は授かった御守りにも記されておりました。
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伊邪那美の大神にお詣りし、日頃の感謝の意をお伝え申し上げました。
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上には巨大な磐座が聳え立っております。此の岩倉に伊邪那美神が降臨すると思われます、拝殿が無い太古の祭祀の場である事が分かりますね。
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そして、なんと伊邪那美大神の前には御子神である迦具土命(カグツチノミコト)がお祀りされておりました。それも真正面から少しづらして母神と対面する形でお祀りされているのです。驚愕と共に温かい気持ちになりました!
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迦具土命(カグツチノミコト)は火の神様です。ご存じの様に伊邪那美大神迦具土命を御産みになり、陰部に火傷を負ってしまって黄泉の国へ行ったのです。悲しみのあまり伊邪那岐大神は天之尾羽張(あめのおはばり 十拳剣とも)と言う大剣で息子の迦具土命の首を切り落としてしまったと言われております。此の時に剣の鍔から滴る迦具土命の血から生まれた神の一柱に後に大国主に国譲りを迫る武甕槌神(タケミカヅチ)がおります。

正に神代における大惨劇なのです。学生の頃だと思いますが、最初に此の場面を知った時に、神様の話とはいえ、とても切ない感情が湧いてまいりました。ところが此の神社には母神の伊邪那美大神と向かい合う様に迦具土命がお祀りされております。伊邪那美大神伊邪那岐大神と共に八島の国(日本の国土)を創った神様ですが、自分が黄泉の国へ導いた原因でもある迦具土命に対して母の慈愛に溢れる形で見守ったいる様にも見えました。神様でも人間でも他の動物でも家族の繋がりは心温まりますね。心の中のワダカマリを解いてくれた今回の縁に心から感謝した次第です。

とある信州の川での釣り 予想と違う!

最近の陽気はいよいよ夏本番になってまいりました。今回は木曽では無く年に一度と決めている河川へ向かう事と致しました。木曽とは水系が違いますがアマゴが泳ぐ河川です。松阪市から木曽まで3時間ですが、今回は更に1時間半ほど距離がありますので到着時はヘロヘロと成り果て、リボビタンDスーパーのお力をお借りした次第です。

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またコロナ感染者も全国的に広がって収拾のつかりょううない状態です。我が故郷の信州でさえ昨日は1500人超えの感染者を数える熱狂ぶりな為に何処にも寄らない弁当と水筒持参の釣行です。釣りの師匠の一人でもある亡父からは、なるべく現地で買い物をする事で地域に少しでも貢献しなさいと教えられているだけに此の様な釣行は心が痛く感じます。
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朝方に現地に到着してみると『え?』と思わず叫んでしまいました。驚くべき光景が目に飛び込んで来たのです! なんと此処だけ夜半に相当な雨量が有ったらしく目指すポイントには濁った水が怒涛の様に流れ下ったているのです。途中から道路が多少濡れてましたが、現地に到着するまで雨の『ア』の字も無かっただけに此れには面くらいました。

あらま!
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此の川は湖に流れ込む大きな川の支流なのですが、どうやらココだけ濁っているみたいです。上の方で雨が降って少し山抜けでもしたのでしょうか。
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『う〜ん』と唸りながら腰に手を当てて川を眺めながらタバコをふかしておりましたが、よくよく観察するとギリギリ釣れる濁りでした。しかし経験上この水色だと魚の鼻先にミミズをチラつかせないと咥えてくれません。水量から考えるとポイントは石裏の淀みとヘチのみですから、其の場所に避難している魚は釣れるかも知れません。

早速準備してヘチにミミズを流すと食べ頃サイズの天然イワナが釣れてまいりました。居る場所さえ分かれば後は読みの通りに釣るだけです。この様な川に降りられない日には私の下手の長竿も役に立ちます!

今日は仕事仲間に届ける為に少し多めに頂きました。
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○○鱒に成りそうなシラメも混ざっております。何故此のサイズかと言うと減水を予想して細糸しか持って来ておらず、大きいのは全て土手の上から引っこ抜く時にラインブレイクしたからです。まだまだ修行が足りていない証拠として今後の戒めと致しました。

後片付けを済まして近くの信濃国一宮に参拝し、本日の釣果の御礼を申し上げました。天津神への国譲り以前から存在する神さまが住む神域に入り、日々の穢れが落としましたら一気に眠気に襲われてしまいました。お腹が減ったので車に戻りお弁当を頂いたら、もう目が開かずに深い眠りに落ち入ったのです。フッと気が付いて時計を見たら4時間も寝ていたみたいで急いで松阪までの帰路に着いた次第です。

松阪の借上社宅に到着し、魚具の手入れを済ましてからお風呂に入り、アマゴの塩焼きを肴にビールを楽しんでいると『何故わざわざ三重県から遠く離れた信州まで、たった数時間の釣りに行っているのか』と不思議になりました。しかし呑む酒がビールから冷酒に変化して、3匹目のイワナの塩焼きを食べ終えた頃には『釣りは全てが楽しいんだから、そんな事は考えても仕方ない』と言う結論になり、その後は杯を重ねて貴重な土曜日の夜が更けていきました! しこたま呑んだ後なので、取り留めもない話になった事をお詫び致します。

目貫の意匠と考察

今の時代は刀剣をはじめ鍔や縁頭や目貫は歴史的な美術品として取り扱われております。刀自体は美術品である前に神器であり霊器でもあり武器でもありますが、鍔や目貫は金工作品として残っているのです。今回ご紹介する目貫(メヌキ)の発祥は手で握る柄と刀身の手持ち部分である茎(ナカゴ)を固定する物として使われておりましたが、其の後に固定する役目は目釘(メクギ)に変わりました。しかし『手だまり』の良さや滑り止めの為に表と裏に一つづつ配される様になったと言われております。

とても気に入っている我が家に有った目貫です。とっても小さいモノで縦が1.7cmで横が2.4cmですので短刀用なのかも知れません。
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小さくて見え難いので拡大しました。顎髭を生やした翁が着物の裾をたくし上げ、天秤棒を担いで薪を売り歩く図柄です。商売が楽しいのか分かりませんが表情が楽しそうですね。薪を切り分ける枝切り鎌を腰にさしてます。
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もう一方の目貫です。此方の翁は髭を生やしておりません。首に手拭いを掛けておりますので時期は汗ばむ時期かも知れません。二人とも長い髪を頭頂部で二つ折りにしておりますね。また二人とも月代(さかやき)が無いところを視ると武家では有りませんね。
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目貫の裏です。専門用語で裏行(うらゆき)と言います、裏から図柄を押し出した様子が観察出来ます。裏の凹みを専門用語で圧出(へしだし)と言います。時代が遡る作品は素材が貴重でしたので材料を倹約しており肉が薄く、時代が下ると肉が厚くなる傾向があるみたいです。また素材は恐らく銀無垢だと思います。
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ご理解頂ける様に此の意匠は『薪売りの図』です。ガスや電気の無い時代だけに江戸では増える人口をカバーするだけの薪や炭は緑濃い武蔵野の豊かな雑木林から供給されておりました。炭は高価な為に江戸城内や大名屋敷で使われていたと言われております。

当時の一般庶民はもっぱら薪を利用していましたが、薪も確り武蔵野台地から運ばれていたと言われておりますので、江戸時代には当たり前の光景だったかも知れません。上の拡大した写真をご覧になると分かりますが、私の手のひらの細い線と同じ太さの薪です。また薪を束ねる藁縄にも毛彫が施されてますね。細い鑽(たがね)で再部まで緻密に仕上がっており、当時の職人の凄さを感じております。金色の部分は色絵と言う江戸時代の技法です。もっと時代の上がる作品は色絵では無く『うっとり』や『袋着』と言う技法が用いられておりますので、此の目貫はそんなに古い物では無く江戸時代の作品だと思われます。

因みに江戸時代の物売りの図を数点程ご紹介します。図書館の書籍に有った物を私の下手なスケッチで覚書の為に写した物なので細部は御許し下さい。

明治期に活躍された日本画家で江戸風俗研究家である三谷一馬氏の『江戸商売図絵』をマジックの細いモノで写し書きしたモノです。此方は塩売りです。
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同じくススキ売り。ススキを何に使うのか?お月見くらいしか浮かんでまいりません。
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八百屋さんです。当時の奥様方や長屋住まいの方は買い物に行かなくても近くまで物売りが来ていたみたいです。
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此方は魚売りです。冷蔵庫の無い時代の鮮魚販売はスピード勝負だったと思われます。心無しか若い足の速そうな方に見えますね。
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上の絵を見ると其々の職人の頭頂部には月代が有りますが、目貫の翁は総髪に二つ折りの髷ですから画題としてもう少し時代の古い時代の翁を彫り上げたと思われます。

二つ折り
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お金を出せば何でも買える現代とは違いますので、煮炊きに必要な薪売りは他の物売りよりも必要な存在だったと感じます。それも年老いた翁が竹の杖をつきながら各家庭を廻る姿は、嫁いだ若い嫁さん達にとって自分の父親を連想させて大事に扱われた事だと思います。其の情景を見ていた亭主も家内の優しさに触れて幸せな気分になった事ではないでしょうか。その心温まる薪売りの翁を短刀の目貫として使った職人のセンスには驚かされます。装剣具には本当に多種多様な図柄が有りますが、今も昔も変わらない人の感情を著した図柄も良いものだと思う次第です。

木曽川 イワナとアマゴ釣り  渇水で厳しい

冒頭に一言
7月8日奈良県での選挙演説中に凶弾に斃れた偉大な政治家である安倍晋三元首相と御親族に対して心から哀悼の意を表します。世界の裏事情を全て知った上で日本をどう護って行くのかと言う事に人生を投じた方だったと強く思います。
                  
ホタルブクロがまるで盆提灯の様に咲いておりました。
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本日は渇水で厳しい釣りになる事を覚悟で木曽に一泊で向かいました。思いっきり源流に入るのが良いか、マズメ時の本流か?悩みましたが、本流に入る事に致しました。ところが不本意にも到着時間が遅かった為に目当てのポイントには既に長竿を振る先行者がおりました。仕方なく違う場所で釣りましたら15cm程のアマゴが沢山釣れてまいりました。こんな事を記事に書くのは憚られますが、このくらいのアマゴは唐揚げや姿寿司にして食べたら骨も気にならずに美味しく食べられます。

その後は山間部の川に向かいましたが、途中で子供を2頭従えた母熊に遭遇して諦めたのです。お昼前から国道沿いにある車屋さんでビールと中乗りさんで喉の乾きを癒し、自慢のお蕎麦を頂いて宿に向かいました。仲間達も其々別々のポイントに入りましたが芳しく無い成果でした。その日は宿の美味しい料理に舌鼓を打ち、先輩が持参した『般若湯』と銘がある日本酒を頂き心地よい疲れと共に早々に布団に潜り込んだのです。

夜半に結構とな夕立ちがございましたので2日目の朝は気合いれてポイントに向かいました。土曜日には先行者が居たポイントに一番乗りです!
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この流れで出ました。
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流れ込んでいるのは八沢川です!
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勝手知ったポイントの流れでしたので2匹の尺岩魚と8寸5分のアマゴを手にする事が出来ました。
恐らくは昨日参拝した南宮神社の龍神様のお導きだったと思い帽子を取って黙礼した時代です。

友人に撮影してもらいました。
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中日新聞の記事より
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鉄鍔の黒錆付け

また鍔の話で恐縮ですが、今週は釣りに行かずに家におりますので、短刀用の鉄鍔の黒錆び付けを行いました。現在はもっと簡単に黒錆を付ける溶液が販売されておりますが、日本の職人が丹精込めて制作した鍔には思う処有って使いません。 

黒錆と赤錆の違いを難しく説明しても面白く無いので黒錆を付ける利点を簡単に言いますと、黒錆を付ける事によって鉄の表面に酸化皮膜を形成出来ます。有る程度の皮膜が出来れば鉄の内面までの朽込みが起こらなくなって鉄が長持ちするのです。一方の赤錆は鉄の内部まで侵入して本体をボロボロにしてしまいます。鉄鍔の魅力は厚く重なった黒錆の艶に尽きると個人的には考えます。話しは違いますが世界にも酸化皮膜を形成する事で鉄の錆が進行していない稀有な事例がございますのでご紹介致します。

日本では有りませんがインドに有るデリーの鉄柱です。紀元415年に建てられ1500年以上も風雨に晒されていますが錆びが内部まで進行していない摩訶不思議な鉄柱です。錆びていない訳として、鉄柱の表面にリン酸化合物の皮膜が存在することで錆に強いのではないか?と言われております。Wikiより
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刀や鉄鍔の様に温度を上げて鍛造する事により不純物が外に出されて純度の高い鉄になり、錆びにくい事は間違いないのですが、1500年以上の長きに渡り錆びない事は世界中の科学者の理解の外なのです。この鉄柱に施された皮膜はいったいどのように施されたのかも解明されていないし、大規模製鉄が行われていない時代にどうやってコレだけの物を造ったのかも解明されていない正真正銘のオーパーツで有り、歴史ミステリーなのです。 Wikiより
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話を戻しますが、私の所有する短刀の鍔に暫く手入れをしなかった為に赤錆が少し出てまいりました。赤錆が深いと鹿の角なので擦って赤錆を落とすのですが、今回は部分的な薄い赤錆でした。

短刀用の花形四方蕨手透鍔です。f:id:rcenci:20220702124842j:image

まず用意するのは鉄鍋です。よく見て頂くと分かりますが内側は黒くなっております。
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次は日本茶です! 私はティーバックタイプを使う様にしております。
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後は簡単です! お茶と鍔を鍋に入れ、お湯を多めに入れて煮込みます。
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此の技法は象嵌や南部鉄器の黒錆つけなどに古くから用いられている技法らしいです。何でもお茶に入っているタンニンが赤錆と相まって化学反応を起こすらしいのですが、無学な私には詳しい化学反応の内容は分かりません。約30分程煮込むとお茶が真っ黒になります。煮込んだら其のまま冷ましてから鍔を取り出します。まだ濡れた鍔をお餅を焼く網に乗せてコンロで炙ります。その後に丁子油や椿油などに少し入れておき、乾いた布で油を拭き落として完成です。

こちらが行う前です。
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こちらがお茶で煮込んだ後です。ちょっと写真が下手くそで分かりずらいですね!
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(前) コチラは分かりやすい横からの画像です。
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(後) 赤錆部分が黒錆に変化しております。
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以上が黒錆び付けの一連の作業ですが、通常は乾いた布でひたすら拭き上げて行くのが鉄鍔の手入れです。何百年も蓄積した黒錆は虎屋の羊羹の様な、または濡れた黒とでも申しましょうか、何とも言えない深い味わいが有り、私の様な鉄鍔好きには堪らない色なのです。此の鍔も恐らくは侍の拵えに使われていた物が、壊れやすい鞘などの破損などを契機に鍔だけで一人歩きしていた物かも知れません。またはもっと数奇な運命を内包した鍔かも知れません。錆を愛でるなんて変に思うかもしれませんが、そんな事を妄想しながら今宵は鉄鍔を肴に一杯傾けます。

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