みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

じっと我慢の子であった

かなり昔の話ですが笑福亭仁鶴大塚食品のポンカレーのCMで『子連れ狼』の拝一刀役をパロディーで演じ、当時3分間温めて作るボンカレーが温まる迄を待つ息子役の大五郎に『3分間待つのだぞ』と言い、ナレーターが『じっと我慢の子であった』と言い放つシーンが有りました。 

Wikipediaより
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渓流釣り師は川に行かないと釣りが出来ませんので待つ事3分どころではなく解除の日を首を長くして待っております。同じ会の渓友からの誘いも有りますが、『医は仁術なり』を体現している医療従事者の皆様や自分から選んだ道とは言え経営難に陥ってる自営の皆様の苦境を思うと趣味の一つが出来なくても決して不平不満を言えたモノでは有りません。今の世の中は業界のガリバーであるトヨタ自動車の豊田社長がコメントで『リーマン以上の危機』と言わしめた一寸先は闇の現状なのですから誰が予想して行動しても手探り状態ですね。今回の様々の出来事から個人も法人も『転ばぬ先の杖』という江戸時代から存在する言事が如何に大事であるかを痛感致しました。不憫に思うのは来年以降の就職氷河期を迎える学生さん達の事ですね。私は何の力にもなれませんが、就職活動で職場を訪れる学生さんと話すと、学生さんの『目』がキラキラと輝いており、其の『目』には無限の可能性を感じます。是非日頃から自分の進むべき道を見定めて頑張ってほしいと思います。

そんな訳で今回も過去20年以上続けた釣行日誌からの紹介とさせて頂きます。今回は今迄入った事が無く2014年に初めて入った千曲川支流の中でも海尻上で本流に合流する湯川の支流牛首川の釣行記を綴ってみました。

魚の写真では無く申し訳ありません。f:id:rcenci:20200516210313j:plain写真には2014年4月14日とございますが、肝が潰れそうになる程ビックリした瞬間なのです。金曜日に会社が終わってから車を飛ばして目指す湯川に入る道沿いにある灯明の湯より少し上に翌朝到着致しました。初めてなので明るくなってから入渓点を探そうと考え、車中にて窓を開けてタバコを楽しんでおりました。当然外は真っ暗ですが、突然窓から出した右手にドサっと何か落ちてまいりました。辛うじてタバコは掴んでましたが暗闇の中で何が落ちた辺りに生き物の気配が致します。其処で急いで車内灯をつけて確認したのが此の山鳥です。いきなり下から木の上に煙草の煙りが立ち上りビックリしたのかは分かりませんが間違いなく落ちて来たのは事実で、目をキョロキョロさせている処を写した写真です。5分程したらヨレヨレ歩いて飛び立って行きました。山鳥は最高に旨いと聞いてましたが、其の愛らしさ近くで見ると、其の気には成れませんでした。お茶目な山鳥さんには無事に子孫を残してほしいと思いました。因みにこの時は入渓点を探すの事が叶わず、杣添川下流部に入りました。結構良い型が出てくれました。

此れは先程と同じ2014年の5月11日とございます。f:id:rcenci:20200516210150j:plain再挑戦した牛首川の上流での釣果です。牛首川は下流部が酸性の岩盤層を通る事で下流部に魚は住めません。然し上流部にはイワナが生息しております。地図を頼りに入渓点を探す事1時間半、やっと安全そうな区間を見出しました。河原まで山を下って、いざ実釣開始と成ったのですが、この日に限って仕掛けとエサを車に忘れてしまいました!0.14tの私は入渓点探しと崖の降りで大腿四頭筋とヒラメ筋が悲鳴を上げている事に気が付いておりましたので、車に戻る選択肢は無視して、ベストに入れたままのテンカラ毛針を取り出し、天井糸を繋いで即席のテンカラ仕掛けを作りました。糸は巻きクセがついてテンカラ針がベビースターラーメン状のラインの下に付いている状態でした。其処で川の水に浸けて伸ばす作業を繰り返し、やっと使える状態となったテンカラ仕掛けを使っての釣りと成りました。竿はダイワ流覇7.1mですので提灯毛針しか道は残されておりませんでした。然し....此れが大当たりでした! 短い区間で25匹以上のイワナが掛かりたった一個の毛針が高い枝に絡みロストする迄に充分に楽しませて貰いました。此の時は数釣りをしておりましたが、此処のイワナは貴重なので4人家族で2回分の8匹だけ持ち帰らせて頂きました。

此の写真は湯川が合流する本流に入った時のモノです。f:id:rcenci:20200516210215j:plain大渕のバックウォーター状のポイントでしたので得意の釣り方でした。長竿にロングラインで手前側から流したまひたら正体不明の大物か掛かり竿が伸されてラインブレイクしてしまいました。釣行日誌にはヨシの根に躓いたと有りますが下手の言い訳です。気お取り直して釣れたのが写真の魚でした。泣き尺も出ましたが、其の時は未知の大物に心惹かれたと記されております。

最近運動不足のせいか分かりませんが、情けない事にギックリ腰になりました。初めての経験でしたが動けない自分が情けなく感じましたが、痛みには叶いませんでした。早く山に入って適度な運動がしたいモノです。今はもう山ウドの時期なので初物を頂けないのが残念です。
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刀剣仲間が保有する短刀

同じ趣味を持つ仲間が居る事は本当に有難い事です。最初の入りは半ば強制的....かも知れませんが、今となっては私より研究熱心となりました。友人は瀬戸内周辺の海賊を祖先に持つ血筋で有ります。海賊と書くと乱暴に聞こえますが、仕事も仕事以外も人格が素晴らしく信頼するに足る人物です。そんな朋友の最初の一口は新々刀の短刀でした。刀工の本名は川井幸七郎と言い、大和郡山藩士であり、有名な11代和泉守兼定実弟となります。銘には平安城住大隈守廣光と切ります。

地鉄が良く練れております。
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小沸出来の直刃で帽子も品良く返ります。
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上から下まで破綻の無い少し深めの匂い口です。
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黒漆家紋闇蒔絵鞘龍図金具小さ刀拵えが付属致します。何処の白金師の作か分かりませんがハバキの玉鑢がとても美しく感じます。
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小柄の彫物も見事です。魚子打ちの下の部分が擦り減っており、実際使われていた跡が伺えます。
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友人の家の守り刀として現在は保管されております。新撰組の隊員からの作刀依頼を受けたと伝わりますが廣光さんも兄の11代和泉守兼定さんも廃刀令の後は御苦労された事だと思います。お二人とも国家の大きな分岐点と成った時代に一役を担った事は疑いの余地は有りません。この後に時代は偉大な明治に移ってまいりまして日露戦争と成りますが、自分だけ良ければ....では無く、多くの日本人が『公』の為に生きた時代であったと強く思う次第です。

蔵刀の紹介

今回は私の趣味である刀についての話です。錆びさせず貴重な文化財を後世に残す為に定期的に手入れを行います。手入れと言っても簡単な事で前回塗布した古い油を拭い、新しい油を薄く満遍なく塗るだけなのです。油を拭った後に心ゆくまで観賞致します。

しかし此れが中途半端な心持ちでは中々始める事が出来ず『よし!』と心気を整えてから鞘を払なければ逆に刀に気圧されてしまうのです。刀は刀鍛冶が赤熱の鉄塊に槌を魂魄と共に幾千回打ち下ろし、折り返し鍛錬で鉄に含まれる炭素量の調節と不純物の除却を行い、其々の習得した伝法による造り込み過程の後に火造りと焼き入れを行った神技とも言える作品であります。その後に研師が気の遠くなる様な工程を経て刀身を研ぎ上げ、白金師が刀一本毎に合わせて制作したハバキを付け、鞘師が良質な朴の木から削り出した白鞘(休め鞘)に収まっている言わば『眠れる荒魂』が刀なのです。刀と装具の事を知れば知る程に中途半端な気持ちでは立ち向かえないのです。刀屋さんの店主から以前聞いた話ですが商売なので日に何本も手入れをするが『まるで魂を揺さぶられる様に疲れる』と話されていたのを記憶しております。今日は日々報道されている都内新型コロナウイルス感染者数も連日減っており、何となく気分が明るくなりましたので刀の手入れを行なう段取りと成りました。本日蔵刀の中からご紹介する一口は私の個人的危機を何度も何度も救ってくれた正に守り刀です。重要な判断の前や次への気力を漲らせる時に此の刀を鑑賞し気持ちを整えるのです。感覚ですので上手に表現出来ませんが、神社に参詣した時に感じる清浄な感覚とよく似ております。

薩州住平正良 天明三年二月日
刃長 二尺三寸三分(70.3cm) 反り1.45cm
本造り 庵棟 湾れに互の目 飛び焼きや湯走りかかり匂い足入る 板目に杢目が混じり詰んで刃沸地沸共微塵につき地景入る
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薩摩新々刀を代表する刀工で位列は新々刀上々作です。薩摩刀は波平行安から始まる波平派が大和伝の伝法を墨守し継続しておりましたが江戸時代となって丸田正房を招いた事で当時流行の相州伝が薩摩に伝わりました。話は江戸に戻りますが、暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗が将軍職に就いたときに、其れ迄の文治政治で衰退していた武芸を奨励し、全国の大名の治める領地内において、優れた刀鍛冶を報告させ、合計277名の刀工の中から特に優れた4名を選びました。その内なんと薩摩の刀工が2人も選出されました。薩摩の刀鍛冶である主水正正清と一平安代が全国で選ばれた刀工の中から技量秀でていると選ばれたのです。(この話はかなり長くなるので詳細は省きます) それ以後も薩摩国は奥元平や伯耆守正幸などの名工を輩出致しました。伯耆守正幸の改名前が正良です。正幸は65歳の時に伯耆守を受領致します。その時正幸は絵師に寿像を描かせております。私の佩刀は正幸が51歳の時に打ち上げた刀です。 

当時の絵師が残した伯耆守正幸の姿
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湾れに互の目は正良得意の刃文です
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刃沸が地まで溢れている薩摩新々刀の特徴が出ております。地鉄は本工にしては大人しく清涼に感じます。
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中心に切られている銘です。
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中心差し裏に切られている年紀です。
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かなり前に購入した『図録 薩摩の刀屋と鍔』という本です、相当な回数読み込みました。
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手入れセット一式です。
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天明年間はそりゃ酷い時代だったと想像出来ます。天明2年から8年にかけて有名な天明の大飢饉に日本は見舞われました。文献を読むと凄惨な状況であったと想像出来ます。関東で飢饉に拍車をかけたのが天明3年7月に起こった浅間山大噴火です。北側の斜面を下った火砕流は鎌原村を始め近隣の村を次々と飲み込みました。山津波となり岩や泥を巻き込んだ火砕流利根川まで到達し、土石流となり遥か200kmの工程を流れ降って海まで到達しました。その後川底の上がった利根川は洪水が頻繁に起き、田畑を荒らしたと伝わります。遠く薩摩においても浅間山噴火とは調節関わらないまでも此の後の飢饉の被害は想像を絶する状態であったと思われます。此の刀は天明三年二月日と有るので二月より前に打たれたと思います。国中が飢饉で喘いでいる中で此の刀を注文した薩摩隼人はどの様な生活を送っていたのか想像も出来ませんが、此の一刀を床の間に置いて家運の向上と一族の安寧を祈った事だと思われます。天明3年は西暦1783年であり、今から237年前になる訳ですが歴史を具現化した文化財とも言えるので大事に手入れを繰り返し後世に伝えて行くつもりです。私は此の刀を鑑賞する事で幾度も助けられていると感じており、敬意を込めてブログに於いての通称とさせて頂いている次第です。

またもや過去の釣行記録から

東京都小池知事のリーダーシップのもとに人との接触を7割〜8割減らす試みが行われております。そんな中で発表される各企業の決算を見ていると末恐ろしい状態です。私の友人には寿司店の経営者、中華料理店と焼肉店の経営者、故郷の更科には観光業を営む友人も数多く居りますので、現状と先行きが気掛かりで仕方ありません。我々釣り師は山に入る場合に凡ゆる窮地に備えて事前の準備を致します。然しながら通常の困り事は自分で経験したり、先達者から指導を受けたりするモノですが、昨今の国家危機は指導される処か、経験者すら居ない前代未聞の危機です。誰も予想もしていない出来事であり、暗闇の中で手探りの状態です。命と引き換えに最前線で患者の治療に携わっている医療従事者の皆様や様々な対応をされている皆様に感謝と心からの敬意を表します。『公』の為に危険を顧みず、見えない敵に日々立ち向かっている姿は、正に諺にある『医は仁術也』を思い起こさせ、昨今の『自分だけ良し』では無く、私も含めた現在の日本人が忘れかけている『何か』を強く感じます。

私も渓友達も非力では有りますが、『公』の為に我欲を押し殺し、来たるべき緊急事態宣言解除の日まで他県への釣りは自重するつもりです。そんな訳で今回も過去20年程記載した写真付き釣行日誌から数点ご披露致します。流石に15年以上前になると記憶があるものが少ないので数年前の写真を重点的に紹介致します。

魚の写真では有りませんが、今年はコレを食べ損ねました。標高の高い釣り場の林道脇に通称『ノカンゾウ』と言われている春を告げる山菜です。お味噌汁の具やおひたしにすると美味しいので毎年少量だけ山神様よりお裾分けしてもらっておりました。写真は先輩が2011年に摘んだ杣添川の若々しいノカンゾウです。
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此の写真はなんて事は無い9寸のイワナが二匹ですが、平成26年2月に降った豪雪後の千曲川解禁日です。
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車を辛うじて道路脇に駐車し、腰までの積雪を長距離ラッセルしてやっと辿り着いたポイントで出した天然イワナです。足もツルし疲労困憊の私達はこれ以上の遡行は無理と判断して戻りましたが、過酷な条件の中で危うく遭難しかけた釣行でした。車に辿り着き着替えを済まして、釣友と話したのですが、よく戻って来れたものだとの会話をしたのを記憶しております。当然ですが今はこんな無理な釣行はしておりません。

2010年の7月28日と記録にはあります。レタスが青々と育っている良い天気に恵まれた日で千曲川本流川上村内の支流である小川の高登谷沢合流付近での釣りでした。此処のポイントは昨今はサッパリですが昔は良く釣れて、意外な大物も雨後には出ました。
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尺超えのイワナは高登谷沢に入った最初の深みにおりました。
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2010年8月7日と記録にはございます。有給日にて...とあるので平日だと思います。小川下流部の橋より釣り下り.本流合流までと書いてありますが、あの短い区間で今思えば驚くべき魚影です。数釣りに価値を感じていた頃の写真で恥ずかしく思います。


最後にまだまだ厳しい状況は続きそうですが、災いが皆様に来ないように心よりお祈り致します。私は玄関の壁の上に信濃国分寺にて授与して頂いた蘇民将来を麻の紐で二体結び通り口の上に備えております。今のところ災いは我が家には入っておりません。蘇民将来については牛頭天王に纏わる民間伝承です。地域によって茅の輪くぐりや護符など様々な祀り方があるみたいです。 
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今回も過去の釣行記録より

本年4月より社会人と成った長女が在宅勤務を行なっており、日々レポートの提出と検温結果を会社にSNSで伝えております。私もついでに検温してみた処、37°1分でした。『??? コロナか?』体温計は計測する場所で結構測定値がズレる事もありますが、念の為に家の中でもマスクをして寝室から出ない様に致しました。私が触れた場所は次亜鉛酸ナトリウム消毒薬で消毒し、娘達に病魔が及ばない様に配慮致しました(感染していたら既に手遅れ)。翌朝4時30に起きて検温すると再度37°有り、流石に少しだけ心配になり、信頼する部下に早朝にも関わらず連絡致しました。事情を話して相談した処、やはりもしもの場合の感染リスクを考慮し、在宅勤務で様子を見た方が良いとの意見であり、その日は出社を取り止めました。その日の午前中に掛かり付けのお医者さんに連絡して事情を説明した処、診察可能との事でしたので伺いました。先生の診断はコロナではないと思うが、一週間程様子を見てほしいとの事でした。
家に帰り新型コロナ感染の覚えは有るのかと自問自答してみました。よくよく考えてみると日々電車では60cm強程の距離に違うお人の顔が普通に存在しており、偶然横に座った人が新型コロナ感染者ですと間違いなく感染致します。日本で一番人口の多い都市のど真ん中まで片道1時間半かけて通勤しておりますので感染してない方が変なのです。色々考えていると日々の感染リスクに笑えてまいりますが、いずれにしても自分の武運と親から授かった類稀な肉体を信じていこうと決断致しました。其れでもダメなら私の武運も其処までとなるだけです。在宅勤務中は寝室に閉じ籠り、娘に襖の外まで食事を運んで貰い、長い一週間が過ぎました。一週間が経過して再度先日のお医者さんを受診した処、血中酸素濃度も98%と全く問題なく熱も通常と思われるので出社許可の判断が先生から出ました。親にも兄弟にも娘達にも心配かけ、会社の上司にも多大な心配をかけてしまいました。自宅に戻り、日々拝礼している仏壇と神棚に心から感謝の気持ちを伝えました。

話は『渓流釣り』に戻ります。自分のコロナ疑惑は去りましたが、全国に発布された緊急事態宣言は続いておりますので、今回も過去長く継続した写真付きの釣行日誌から木曽川千曲川の良型シリーズを数点をご紹介致します。

木曽川の戻りアマゴです。写真に日付はございませんが2011年の6月と記されております。関所橋上にある発電所吐き出しから100m程下った場所で瀬に出ている魚を狙っておりました。時間はセカンドステージなので10時くらいであったと記憶しております。第一投で大物が掛かり、尺までの魚を想定していた通しの0.4号を切られました。其処で0.6号に張り直して釣り始めたら20c mから26cm位のサイズが釣れてまいりました。一区切りつけて座り込んで休憩し、お茶を飲んで煙草に火を着けました。友人と携帯でやり取りした後に再度釣り始めました。そしたら時間を空けたのが良かったのか分かりませんが一発で大物が掛かりました。先程よりトルクは有りませんが、スピード感溢れる強引に耐え、数分のやり取りの末にタモに収まったのがこの魚です。銀色の小さい鱗の下にアマゴ特有の赤い斑点が見え隠れして美しい魚体でした。餌はムサザワ川のヒラタ二匹掛けだと日記に明記されておりました。
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千曲川本流の川上村内での釣果です。日付は2012年の8月2日です。場所は小川流れ込み下にある堰堤の深みで、ミミズ餌で釣れました。私も大きいので魚が小さく見えますが、大きさは43cmございました。恥ずかしくて載せる事が憚られますが、これ以外にもイワナがたくさん釣れました。
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割と最近の日記から一枚選びました。2018年7月17日ですので此のブログを始める一年前です。娘と釣りに行ったの時の魚達です。
f:id:rcenci:20200424053732j:plain場所は得意の杣添川で本流から最初の堰堤での釣果と日記にはございます。此の時は前日までの雨が止んで快晴となり、笹濁りのベストコンディションでした。魚も元気に遡上しており、尺絡みが数釣れる幸運に恵まれました。右上のイワナ二匹は娘がブドウ虫餌で釣り上げました。畑と川を仕切る鉄線で組まれたフェンスを跨ぐ時に引っ掛けてしまい、高価なゴアウェーダーを思いっきり破き、嬉しさが半減しましたので、ウエーダーの生地が奏でる『ビリリ〜』っで感じの引き裂け音と共に今でも生々しく記憶に残ります。

風薫る5月の渓流に想いを馳せて

私の会社も先週よりローテーションで在宅勤務と成っております。当然ですが私めも在宅勤務と成りました。初めての経験なので何故かヘンテコリンな感じが致しますが『休み』では無く『勤務』なのです。長年染み付いたワイシャツを着てネクタイをキリっと締めて背広を着て電車に乗って職場に赴く....と言う一連の仕事モードへの切り換えルーティンが変わり、どうも掴み難いモノですね! 

話は変わりますが現在の国家的危機中に釣りに行くのも気が引けますので、今回も過去に行っていた写真付き釣行日誌からの回想録を綴ります。内容は夢が正夢となったり、夢にイワナが出て来たり、本来なら釣り難い日なのに毎年良型が釣れる日(私の場合)が存在するなど、少し不思議な釣果をご紹介致します。

2013年7月13日、川上村の千曲川本流に流れ込む支流の西川にて釣り上げた尺ヤマメです。此の年は小海線の鉄橋下に深瀬が存在し、良い型の魚が何時もついておりました。朝一で他の場所に入って、少し疲れたので昼食後に車中で17時過ぎまで爆睡したのですが、この時に夢をみました!内容は、恥ずかしい話ですが焼肉屋でもう入らない程お肉を仲間と食べている夢でした(その様に日誌に記載されております)。その後に西川に入渓し、此のヤマメを掛けて取り込んだ処、お腹パンパンで更に口からミミズが3匹も出ておりました。少し前に夕立ちっぽい雨が来ましたので、ミミズが流れたのでしょうか? 夢のお告げは食べ続けているヤマメの大物がいると言う内容だったのでしょうか? その時はとても不思議な感覚を覚えたので、今でも記憶に残っている魚です。馬鹿らしい話なので、どうか聞き流して下さいね!
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2014年3月26日とございます。抜井川上流が良い時の釣果です。この時は持ち帰り匹数制限を決めておらず、釣れるだけ釣っておりました。この後の禁漁期の事ですが、夢枕に何故かイワナ出て来て、悲しそうに泣いている夢を見たのです。その悲しそうな瞳を思い出すと心が痛み、その次の解禁から悪戯に数を釣るのは止めました。正直言うと過去の回想写真を見ると酷い数釣りの写真が多く、どれを出そうかと思い悩んでおります。
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2010年5月9日と有ります。ゴールデンウィーク明けの大物です。大型連休明けの最初の土曜日は何故か私に取って大物が出る日なのです。散々プレッシャーを掛けられ、釣れるべき魚は釣られた後なのですが不思議です。この魚は千曲川小海のレストランイエローハット前の本流に有る堰堤を下から攻めて釣れた魚です。根掛かりしたと思った仕掛けが上流に動くので、合わせると物凄い引きが伝わり、数分のやり取りの後でタモに収まった魚です。しかし何故この日に釣れるのか? スーパーハイプレッシャーから逃れて気が抜けた魚なのか? 理解に苦しみましたが、結局は良い釣果でしたので、よく覚えている魚です。
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西洋ヤマガラシの黄色い花が河原一面に咲き乱れると、瀬で餌を追う本格シーズンですが、今は思いを馳せるしかございませんね。
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去り行く日

令和2年4月10日の金曜日に最後の引き継ぎを終えて、3年間お世話になった雷門近くの支店を後に致しました。緊急事態宣言が出て社員の半分が在宅勤務している状態の中で貴重な時間を割いて営業室にて送別式を開いて頂きました。司会の案内で私の挨拶と成りました。ふと見回すと、社員数名が私に携帯画面を向けているので『何かな?』と思ったら、在宅勤務組の皆が携帯画面から参加しておりました。その光景を見て、少し涙腺が緩みましたが、何時も通りの表情で皆の前で最後の話を致しました。抑えるモノが強すぎて、正直いうと何を話したか断片的にしか覚えておりません! 覚えているのは『此処から皆様に恩返しをして行きたいと思います』と言った事です。今後あらゆるシーンで必ず有言実行して行く所存です。

後任の責任者と固く握手し、家族同然の社員達の行く末を託しました。後任者も私と過去二回職場を共にした戦友で、実力は折り紙付きです。
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そして恒例の送別の品授与式となりました。私の経験上ですが当社は結構派手な品が送られてまいります。渓友会の後輩が課長として勤務しておりますので、その誘いと思われる渓流竿を管理職一同より頂きました。硬い竿が好みの私はダイワの壁羅8mを使用しております。今回はその壁羅硬調8.5mを頂きました。誰も居なかったら飛び上がるくらい嬉しい贈り物でした。

管理職一同との記念写真です。一人ひとりに熱く強い思いが溢れます! 現状は史上未曾有の先が見えない環境でありますが、基本理念を曲げずに新体制に沿って頑張ってほしいと思います。
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他には酒好きの私の為に普段飲めない高級な日本酒を多数頂いたり、立派な折り畳み傘、コードレスイヤフォン、ロングサイズベルト、月下に釣り糸を垂らす老人の図を表した木瓜型の鉄鍔、マッサージ機、高級スコッチ、花束など持ち帰れないくらい頂き、皆にとんだ散財をかけてしまいました。 

鉄鍔の釣り竿を持つ老人を拡大してしました。実際には顔の部分の縦の長さは3mmほどで銀の色絵が施されております。
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頂いた花束を花瓶に移しました。
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在宅勤務組も含め、全ての仲間に数えきれない思い出が有り、私も部下に教えられて成長してまいりました。一緒にお客様先でお叱りを受けた事や、全てが完璧に進んで喜びをわかち合った事など走馬灯の様に思い出します。社員一人ひとりが会社の『宝物』ですので、今後も自己研鑽を惜まずに未来を向いて進んでほしいと強く思いました。

皆さん本当にお世話に成りました。皆様のご恩は此の正良、決して忘れません。何か文面が退職するみたいですが、今後も同じ社内で店も近いので、どうか宜しくお願い致します。

                平正良